●連載
がたやま娘のひとりごと         文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

今回は、肉親の葬儀で起きる特別な感慨について。



そして・・・

父が亡くなったので、夫の実家にすぐ連絡した。夫の両親は即病院に駆けつけてく

れた。先々月結婚したばかりなのに、翌月にはお葬式出しちゃって「親戚」扱いし

ちゃってすみません、ご迷惑かけて申し訳ありません、っていう気持ちだった。

それから、葬儀屋さんに連絡した。自宅には98歳の祖父がおり、父が亡くなって

いろいろバタバタすると精神的に良くないだろう、ということでセレモニーホール

での葬儀に決めた。

病院から亡き父を連れ、母と一緒に葬儀屋さんの車で父の母校〜自宅前を経由して

セレモニーホールに到着した。葬儀屋さんと打ち合わせをしたり、うちのお寺さん

を呼んできてお経をあげてもらったりしてあっという間に過ぎてしまった。私はい

ったんアパートに戻り、泊り込みのための荷物をまとめて、再びセレモニーホール

へ戻った。

なんてったって、うちの母はモマイしまくりでまともな話なんかできなかった。普

段からちゃらんぽらんな母だから仕方がないんだけど・・親戚のおじさんやおばさ

んも、みんな年寄りのせいか(!?)耳は遠いわ、人の話は聞いてないけど自分の

話だけするわで話がアペコペ(山形弁:話があっちこっちする)になったりして大

変だった。

人が亡くなると、不思議な時間が流れる。日常とはかけ離れた、まるで宙に浮いた

ような時間。こんな時間の流れ方もあるんだな、と思ったのは8年前、うちの祖母

が亡くなった時だった。何と表現したらいいのだろう?生活感というのか宗教感と

いうのか、人との関わりを感じる(とりわけ身内の)というのか・・・


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