10/24の主張             文は田島薫



(心配の連鎖について)

日本人ってどうして、こうみんな慌てものばっかりなんだろう、っていつも感じる。

いつも隣の家の暮らしと自分の家の暮らしをくらべて、生活レベルで負けてないか

どうか、いつも気にかけてるんじゃないか、って見える。


子供の教育にしたって、もっと子供の情操を育てる時期なら、少し勉強足らなくても

うんと遊ばせた方がいいじゃないか、って考える親は少なく、少しでも経済的に豊か

な暮らしができるように人よりも余計勉強させて、って学校の後、夜遅くまで塾通い

させても当り前のように考えているようだし。


少しでも余計に金をかせげるなら、膨大な残業だって、おとなしくやって、子供の

ため、って身体をこわすぐらいの涙ぐましい苦労に耐え、病気になった時のための

備えには、少しでも余計に保険に入っておかなくちゃ、って考え、その費用算出の

ために、自分たちの楽しみまで控えてがんばる。


世界の国々の生活レベルを見た時、質素な食べ物と、寝るだけの小さな家だけで、

大家族が楽しそうに幸せに暮らしている人々が沢山いて、彼らは保険なんか入らな

くても大丈夫なのだ。

過剰なストレスの仕事をする必要もなく、いつもにこにこ生活できれば、病気にだ

ってなかなかなりにくいのだ。


そう言うと、貧しくて、病気になった時に医者にかかれず長生きできない人も大勢

いるはずだろう、って言われるだろうけど、死ぬほどの大病は、たいてい日本だっ

てたいして直せないんだし、いろんな機械につながれて、いろんな薬を打たれ、医

療費をたっぷり取られたあげくミイラのような身体になって死ぬことも多い。


人間の生活で一番大切なもの、って、1日1日を充実して、楽しく暮らすことのはず

で、先の心配の保険を次々かけて、1日1日の生活の喜びを犠牲にすることじゃな

いだろう。


余計な心配しないで、気持よく楽しく生活して、それでも病気になり、もし直す努

力をしても直らないもんなら、大病なんだから直らないままでいいじゃないか。

古き良き昔の日本人はそうやって生活して来たことを、慌てものたちの全員が忘れ

ちゃったのだ。




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