11/7の日記 文は田島薫
夜中の二次会先週の月曜まで映画プロデューサーの尾形さんと結局5連チャンで酒宴をしたわけ
でその後の週は少々ソフトに行こうと思っていて、いつも尾形さんが来る木曜日が
祝日なので、1日抜けてちょうどいいかなと思ってたところ、金曜の夕刻メールで
昨日の変りに今晩いかが?って誘いがあった。
もっとも尾形さんは仕事を終えると、かっきり週2回事務所まで飲みに来ていて、
仕事で来られない時には翌日に埋め合わせする酒宴皆勤賞のきちんとした男だ。
よっぽどの二日酔いや用事がない時に酒を誘われて断ったことのない私は、もとも
と嫌いじゃないので、じゃ飲みますかー、ってことになった。
近所の別の友人たちにも声をかけたけど、昔と違い、なかなか誘いに乗ってくる者はいないので、また彼とさしで語ることにしていると、9時過ぎごろ一度断わった
編集者がすでに酔って機嫌よさ気に酒持って来た。
昔、尾形さんが阿佐ヶ谷で飲んでた時通っていた風童って居酒屋のママが、九十九里に引っ越した後、最近、神保町に店を再開したから、そこへ私を連れて行こうと
思ってたらしく、編集者の帰宅電車がなくなりそうになり帰った11時半過ぎごろま
で一緒に楽しく盛り上がった後、近いんだし、これから行こう、って言った。
彼が携帯をかけると、12時までなんだけど、来るなら2時ごろまで開けるって話を
引き出したようで、出かけた。
飯田橋まで地下鉄で行った後、タクシーのが便利だろう、ってことになり、乗り換
え、適当なあたりで下り、少し道に迷ってから行き着いて店内に入ると、ママの姿
はなく、座って待ってると、しばらくして入口から入って来た。
われわれが遅いので、あたりを探してたそうだった。
もう60ぐらいのはずだが、気持の温かい頭のよさそうな美人だ。
学生運動やら演劇やらをやった当時の有名人らしい。
ガットギターがおいてあったので、いじってると、ママはフォークソングが好きだって、話だったので、ポール・サイモンのapril come she willを歌い始めたら、一番好
きな曲だ、って言って小さく一緒に声を合わせた。
今度いつ来るかわからなかったけど、ふたりでウィスキーボトルを一本入れ、また
タクシーで事務所に戻り雑魚寝した。