6/20の日記          文は田島薫



クリエーティブワーク

先週の木曜日は舞踏家成瀬信彦さんと尾形さんの関係で知り合った大村未童さんの

初のソロ舞踏ライブに中野のミニシアターへ招待された。

汗びっしょりでひとり挌闘する未童さん自身に、技術を超えて、表現を志す者の

プリミティブな喜びを感じた。

尾形さん、成瀬さん、郡司さんの他、彫刻パフォーマーの小林さん、舞踏評論家の

志賀さん、女性カメラマンの豊泉さんの他、舞踏評論家の長老合田成男さんなどが

来ていて、打ち上げに残った評論家たちに酷評される中で、ひとり自己主張する未

童さんに反論があるものの少々感情移入もしてしまった。

未童さんは舞踏家としての技術に問題が多いのだろうけど、何かを表現したい、

という本気の気持は非常に大事で貴いものだろう、あんなの舞踏じゃないよ、って

言われたら、最終的に舞踏じゃなくなったってかまわないじゃないか、とも思った。


未童さんに感情移入したのは、アートワークに関して私の思いがあるせいだ。

あらゆるアートは作者独自の正直な「思い」を表現するものであり、だれかの真似

をいくら上手にやったって、それはアートではない、って。

下手でも表現したい「思い」を抱えている時だけ人はアーチストなのだ。

もちろん表現したい「思い」があり、その上、上手な方がいいいけど。


何だか今の世の中、表面の技術的上手さだけで、成り立っているように見える類型

的なアートらしきものが氾濫していて、人々はそれを盲目的に容認して満足してい

るように、私には見える。


とはいうものの技術がなければ説得力がない。

というわけで、昨日の私は一日じゅうエレキギターの練習をしたのだった。

(どういうわけで、そーいうとこに話が行くんだっ)


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