6/13の主張             文は田島薫



(政治の建て前について)

中国や韓国から、首相の靖国神社参拝批判が出てることに対して、首相本人の

他、幹事長代理や、外務大臣までが反批判を表明して恥じる様子がない。

A級戦犯が合祀されている場所に一国の政治リーダーがお参りする事を批判され

ていることに対して、その問題点に触れず、祀られているのはA級戦犯だけじゃ

ないから、いいじゃないか、第一、これは日本の内政問題だから、他国が口出し

する権利はない、って口を揃えて言ってる。


昨日のテレビ番組ではおなじみ米国追従論者の岡崎老人が出てて、同じように

中国を批判し、中国の本当の目的は日本国内の議論を分断させることによって、

弱体化させ、今後の台湾問題などを有利に展開して行くところにある、って。

靖国参拝など、元々は中国の意識外にあったのが、旧社会党の焚き付けによって、

外交カードに使うことになってしまったんだ、って。

どんな国もいろいろな問題点を抱えていて、外交上はお互いに見て見ぬふりを

して建て前で調整して行くのが政治だ、とりあえず日本は米国の信頼にだけは

100%応え、他国には建て前でうまく付き合って行けばいいんだ、って。


政治外交って、本当にそれだけでいいのだろうか。

確かに国同士がすべてのことを理解し合う、ってことは難しいことだから、とり

あえず、誤解のないように建て前で表現しなけりゃならない場合もあるだろう。

しかし、その前提は国内のあらゆる問題をきっちり審議し、国外にも筋が通る

説明ができるように努力することにあるはずなのだ。

問題点をあいまいのままにして、他国が見て見ぬふりをしてくれていることに、

何十年も甘んじることではない。

ましてや、国内外で問題提起された後で、問題審議する必要は元々ないかのよう

に、問題提起した者を逆批判することでもないし、議論が分断される、って言う

のなら、それは自分たちの責任だと、全然感じないのだろうか。

まさに、そういった自己中心的・御主人様従属します的奴隷根性が思考停止させ

ているのだ。

靖国問題の本質をきっちり審議するのは内政問題として、建て前では他国の心情

を考慮して、靖国参拝をとりやめるのが政治外交だ。




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