6/6の主張             文は田島薫



(議論の焦点、ってことについて)

今朝の新聞に池内さんっていう若い国際政治学者が中東情勢についての日本国

内の議論が、いつも米国への強い関心で終始し、中東=反米といった単純な論

拠を出てない、ってことを批判していた。

中東の諸問題を生んだのは米国ではなく、中東問題の根源、イスラエルを生

んだのはイギリスの中東政策であり、アラブ諸国の抑圧的政権の多くも、

米国が育てたのではなく、育てたのは冷戦構造の中のソ連だ、アラブ諸国にも

人々に親米意識と民主化に期待を持つ層はいる、って。


歴史事実をつぶさに検証して行けば、現状の諸問題の原因はひとつではない、

ってことは分かるから、単純に一国の政策の欠陥だけを問題にして、議論する

のはそれこそ無益な敵視論議で建設的な結果を生まない、いいところはいいと

認め、問題点の原因についても、先入観に捕われずに、公平に認識判断をする

べきだ、って意見には賛成だ。


今日に至るまで、歴史ってものは、その時々の人々がその時々のいきさつで

ベストと感じた政治判断が次々と因果関係をリレーして来たもので、その過程

で紛争が起き、犠牲者などが出ると、その責任の所在がどこの国にあるか、と

問題になり、自国の正当性を主張しあう、ってことを繰り返して来たわけだ。


しかし、今、自分があんたに武力で攻撃するのは、以前、あんたの親父が自分

の親父を攻撃したことがあったせいだ、だから、原因はあんたの方にある、

って言ってるのを、その通りだから、彼が攻撃することを批判できない、って

言ったら、おろかな歴史の繰り返しを逃れることはできないだろう。


歴史に学ぶ、ってことは、今双方の人々が平和に暮らせるために、どうしたら

いいのか、って政策を模索する、ってことなのだ。

現実に武力で他国を制圧しようとしている国に、彼らにも一理あるので、一方

的批判は当たらない、などと学者的に支持することではない。

現実的にいかんものはいかん、って批判し、米国になら民主主義を支持しても、

平和的な政策においてするのであって、武力によるそれには反対すべきなのだ。




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