7/4の主張 文は田島薫
(日本人の戦争責任について)靖国神社参拝や教科書問題で、中国、韓国、朝鮮などからの日本批判に対して、
A級戦犯などを断罪した東京裁判が不当なもので、A級戦犯だけに罪を転化する
のは問題である、って意見がこのごろよく聞かれるようになったけど、それには
一理あって、それはどういう部分かというと、「罪はA級戦犯にだけあるのでは
ない」ってところだ。
そして、日本の満州進出から、日中戦争、日米開戦、すべて、自衛のため始まった仕方ない歴史の流れであった、って言う意見があるけど、確かに、その当時の
状況では、ほんのちょっと前まで侵略戦争がどこの国であっても普通の政策だっ
たわけだから、遅れて来た日本やドイツが国際連盟を無視し、侵略戦争もひとつ
の対外政策の手段だと考えても仕方なかった、とも見える。
しかし結果を見れば明らかなように、軍事技術の進歩によって戦争は急速に大量殺戮の時代に入っていたのだ。
国際連盟が発足したのも、そういった時代を見越しての牽制装置としての国際
的見識によったわけなのに、日本やドイツは率先してそれを脱退し、日本は中国
への侵攻を始めたわけだから、米国が石油や鉄の対日輸出経済制裁をしたとして
も仕方ないわけなのだ、「国際良識」からいけば。
それで、やっぱり日本は米国に経済制裁され、わが国が戦争を継続するためには、南下して資源を確保しなければならなくなった、って侵略拡大を始める。
それには海軍が反対したんだけども、自分の領分じゃないので陸軍の行動にいちゃ
もんつけてる、って取られるぐらいのレベルのやりとりだった。
けっきょく、すべてが「歴史の流れの中で仕方なかった」って言って済まそうとする日本人にありがちの曖昧で、流れのまま目先の利益を第一に考え、大局的
な視点を持てない大勢に、改革的な意見を持ってても体を張って充分に主張し、
責任を取ろうとはしない少数が飲まれるパターンだったのだ。
そして、自国に有利だという理由で侵略戦争を合理化してマスコミが煽り、国民も一緒になって無反省に同調した。
私の意見はこうだ。A級戦犯に名指しされた人以外にも重大な罪を犯した人は多勢いる。しかし、A級戦犯に名指しされた人の責任追及も回避することはできない。
そして、戦争支持した責任が国民全体にあり、それを日本人であるわれわれひとり
ひとりが自分への教訓として考えよう、って。
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