7/11の主張 文は田島薫
(日本の豊かさについて)日本は世界的に見て経済的に豊かな国だ、ってことになっていて、確かに誰もが
小奇麗な服を着て、どの家にも電化製品がたっぷりあり、自動車だってそこいら
じゅうに溢れているし、毎日の食事に欠く人なんか見当たらなそうだ。
じゃ、日本人はみんな経済的な余裕を感じながら毎日の生活をエンジョイしてる
んだろう、って他国の人々は思ってるかも知れないけど、実情は大分違う。
日本は戦後、経済復興から経済高度成長時代へと、経済成長第一主義で走り続けて来て、とにかく働くことが美徳で、人より余計働いていろんなものを手に入れ
物質的に豊かになれば幸せになれるのだ、って信仰が今だに抜けないのだ。
そんなわけで、労組はとにかく賃上げ賃上げ、と主張し、そのためには、残業
をいくらやっても気にとめないかのような考え方が変らない。
自分のとこさえがんばって沢山仕事やり、それによって他社の仕事が減ったり、
つぶれたりしても、それが自由主義経済だ、と思って疑ったことがない。
バブル崩壊後、各地で盛大に行われたリストラは、正にそういった考え方だし、
そこに、社会的な大きな矛盾があるのに、ほとんどの人たちが気にとめない。
勝ち組と負け組の二極化。勝ち組は生産性の高まった企業に残り、賃金は保証されるけど夜中まで死ぬほど働かされ、負け組は失業したり、充分な生活費さえ
得られない職場に追いやられる。
もちろんほんとに豊かで余裕のある生活をしてる人たちもいる。
道路公団から多額の退職金をもらった後、癒着企業に天下りし、週1回の出社
で年収1800万円ももらってるような人々だ。
こういうたぐいの連中がけっこう沢山いて、けっきょく元々は税金だった金が
吸い取られ、国の赤字財政を加速させ続け、結果、税金や公共料金の値上げが
止まらないのだ。
勝ち組の人々だって、いくら働いて高給を得ても、出費の方も増え続けるわけだから、いつになっても経済的余裕を感じることができるわけがない。
上がり続ける学費や、高級化する冠婚葬祭のつきあい。
だから負け組が子供の進学をさせてあげられないどころか、税金の滞納までし
ざるおえない、なんて現実にも気がつくこともない。
日本人は世界から見れば経済的に豊かかも知れないけど、現実にはそれほど中身はなくて、日本全体が充分豊かだと錯覚させ、「個人個人がそのつじつま合わせ
のバランスを取るために」こき使われていることに甘んじる人々を作ろうとして
いる企業と、その双方から疎外されている人々がいるのだ。
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