2/28の主張 文は田島薫
(忍耐と寛容について)人生は忍耐だ、って言って、額の中に“忍耐”って文字を飾ってる人をよく見る
ことがあるし、そういった座右の銘の類では昔から人気のようだ。
人生、辛い事や、思い通りにならないことが多々あるもんだけど、いちいちそれに腹を立てちゃいけない、短気は損気だ、って我慢を奨励してるわけだ。
確かに、みんながそれを実行すれば、争い事がなくなり人間関係もスムーズにな
る適格なアドバイスなのだろう。
ただ、薬に必ず副作用があるように、“忍耐”って言葉は短いだけに、毒の部分も含んでいるのだ。
忍耐、って言って、自分では腹が立ってしょうがないようなことでも、無理に、抑え付けて、我慢しろ、ってことだけでいい、と解釈したら、それが毒だ。
腹が立ったら、なぜ自分が腹を立てたのか、後でよく考え自分ってものを知ること
が大事なことであって、それは実際に腹を立てようが、我慢して表面平静を装って
も同じことなのだ。
だったら本当に怒りを表現した方が人の反応だって分かるし、却って後で考え
やすいぐらいなもんで、我慢だけして、その事を考える事をしなかったら、常に
自分が正しくて、一方でそれを阻む悪い物事や人々がいる、という認識が固定した
ままになる危険があるだろう。
正しい自分が怒りを抑えるのではなくて、自分が正しい、と思ってる自分の認識ははたして本当に正しいのだろうか、考え、それでも相手が間違ってる、と感じたら
ただ我慢して黙っているより、表現するべきだろうし、それほどの問題でないの
だったら、相手の愚かさを許す余裕だって出て来るはずだ。
自分だって人から見たらたっぷり愚かさを持ってるものだし。
なに、自分に限って愚かさはない、って?
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