●連載=クボユーシローの
ふぉとふぉと


『李朝』のデザイン その7

李王朝は陶磁器産業に力を入れ、朝鮮各地の窯場もにぎわった。

しかし陶工たちは身分も収入も低く、結婚できる者は少なかったらしい。

官営の窯場には定期的に陶工が集められ、安い賃金で陶磁器造りを強制させられた。

それを逃れて各地の窯場を渡り歩く職人も多かったといわれる。

豊臣秀吉は李朝を二度侵略し撃退されたが、派遣された諸藩の部隊は撤退する時に

李朝の陶工たちを多数日本に連行した。陶工たちを連れてきた各藩は彼らの指導で

陶磁器産業を起こした。陶工たちは優遇され苗字帯刀を許す藩主もいた。

萩焼の元を作った陶工などは後日に朝鮮から弟を呼び寄せている。


粉青沙器彫花顔文瓶
民窯(庶民の需要に応える民間の窯)の貧乏な陶工たちは
コストを下げ生産高を上げる為にかなり手を抜いて製作
したらしい。しかしそれが後世に世界中から絶賛を浴び
ることに…。
粉青沙器鉄画草文壺
品質の悪い土、それを覆うための白い化粧土も節約
している。
粉青沙器彫花線條文扁瓶
李朝の粉青沙器には子供が描いたような絵が多いが、
どれもベテランの職人の手によるといわれる。


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