●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は中国であたしゃ考えたよ、ってお話。



中国よ、どこへいく

この秋、杭州・北京へ行った。中国へは12年前に一度行ったことがある。そのときはま

だ発展途上で、日本の辿った歴史を水平に見るような気がして面白かった。

全体が一様だった。人々は素朴で貧しく町全体くすんでいたがなんとなくぬくもりがあ

った。

扉のないトイレも生ぬるいビールもみやげもの屋のまったく愛想のない店員も気になら

なかった。

ところが今回はどうだろう。町も人もすっかりきれいになって活気がありキラキラして

いるのだが、全体の雰囲気がなんとなく凸凹している。

例えば北京の町並み。高層ビルが建ち、整備された広い道路、銀座顔負けの王府井の歩

行者天国、スプリンクラーの回る公園、まるで近代化を絵に描いたよう。夜はライトア

ップする念の入れようだ。みんな目の色変えて金持ち行きのバスに乗り遅れまいとして

いるかのように見えた。

近代化って西洋化と同義語なの? つまらない。昔のあの無愛想な中国はどこへいって

しまったの?

垣間見たのは地下道や裏通りや観光地でお金をねだる物乞い。しつこさがハンパじゃな

い物売り。人通りの激しい地下道の入り口で、ござの上に2〜3歳の女の子が寝かされ

ていて、後ろには日焼けした母親らしい女が必死な目をして器を差し出しているのも見

た。

でも中国って懐が深いから、こうした光景にどこまで同情していいのかわからない胡散

臭さも付きまとうけれど。

日本の高級マンションと変わらぬ家賃を払える金持ちと昔ながらの乞食スタイルに頼ら

ねばならぬこの貧しさが共存する現実。きっとこの凸凹がギスギスを増幅し、モットモ

ットを生み出しイライラにつながっているのだろう。

3年後には北京オリンピックが開かれる。北京周辺では昔ながらのレンガ造りの家は取

り壊され、新しいビルの建設ラッシュだ。

思えば東京オリンピックもそうだった。汚いものは壊したり隠してしまい、見える所ば

かりをきれいにして、文化も生活水準も高く、清潔な環境が隅々まで行き渡ってござい、

とばかりに清潔志向をばく進させた。そして過度に不潔なものへの嫌悪感を育ててしま

ったような気がする。

バブル経済を作り出し、目に見えない精神にも影響して、子供のいじめも均一な中流意

識もそのなれの果てではないかと思う。

願わくば中国の物乞いも押し売りも差別されることなくしたたかに生きてほしい。

汚いもの、病人、老人、非行少年もそれぞれに固めてしまって見えないようにするとい

うのは不自然だもの。人はきれいも汚いも一緒に生きてこそ人間的なのだと思うのだが

・・・


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