●新連載
クーニーズ          文はえんどうくにこ


世間の荒波を凛々しく乗り越えて来たベテランOLエンドーが
世間の矛盾、不正?を次々あばいて行きます!…多分。

今回はニューヨークが自由と平和と夢の街「だったころ」の思い出話。



9/11によせて

湾岸戦争の始まる前。誕生日の夜をニューヨークで迎えるために計画しての忘れがたき

2ヶ月間のアメリカの旅を思い出す。

バンクーバーからジャスパー〜バンフをめぐってニューヨークに。

ケネディ空港からマンハッタンに入ったときからタクシーの中で『すごい!これが摩天楼!』

東京の街が何個もくっついた感じで圧倒されっぱなし状態だった。ビルに押しつぶされそうな

ミッドタウンを抜けブロード・ウェイからセントラル・パークへ向けカーネギー・ホールの

並びにあるウエリントンホテルに着くまで、興奮状態かつ完全に舞い上がり状態だった。

血圧かなりあがっていたと思う。おのぼりさんどころでない。やったぁ!という喚起で

バック・パッカーはチェックインしたホテルの部屋で小躍りしたのだった。

それから2週間ニューヨークを歩き廻る。インディアン・サマーといわれたその年は9月半ば

過ぎても日中は30度近くの気温で、バッテリー・パークからエリス島にそびえる自由の女神を

目の前にした日は汗ばむ陽気だった。ウォール街では証券マンと一緒にホットドックをほおばり、

世界貿易センタービル107階からマンハッタン島の大パノラマ堪能。

ホントに自分の目で見たという事実は今思えば、私の宝物である。

デジカメはなかったけど大切な写真も。

記念すべき私の誕生日といえば、諸般の事情により、五番街ドーラル・インの部屋でひとりぼっち

でバドワイザーの乾杯!なんともさえない苦笑いのこれもまた思い出。

美術館もブロード・ウエイもグリニッジ・ビレッジもセントラル・パークも五番街も、

み〜んな私のなかのN.Y.=BIG APPLEだった。

その後も私の旅は続くのだが、あまりにもどこか重すぎてマイアミへ向かうアムトラックの車中

では珍しくもホームシックになっていた自分だった。


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