5/31の主張 文は田島薫
(人を殺してはいけない理由について)以前テレビで中学生が「なぜ人を殺してはいけないんですか?」と言う質問をして、
それに対して「馬鹿なこと言うな」って怒った大人がいたが、その後も他の大人から
あまり明確な説明がなされているようにも見えないようだし、何と応えていいか
わからない、って声もよく聞くので、私としては明確すぎて、話すほどのことでは
ない、と感じていることだけども、一応述べてみたいと思う。
動物は食物連鎖の仕組みの中で、自分より弱いものを殺し食物にして生きていて、人間も同じように動物を殺し食物にしているけど、道具を使いどんな強い動物も
殺すことができるほど本能以上の力を持った存在になってしまった。
だから、動物も同種の中で権力争いもするけど、人間同士の場合それが歯止めなしに拡大して行くと、戦争、ということになり、当事者以外の大勢の人間が犠牲になる。
価値観を共有するグループがそれと対立するグループを武力でつぶそう、とした時、当事者たちが、そのため戦うのは当然のことだ、とひとりひとりの顔が見えない敵に
対し感じたとしても不思議はないわけだから、集団心理の愚かさを避けるためにも、
個人個人が主体性を持って、後で述べる日常の個人的な例をしっかり確認しておくのは
大事なことだろう。
人はだれでも生きて行く権利を持っているのに、それをいやだというのに、他人が力で無理矢理奪ってしまうのが、いいわけはないのだけど、それだけだと利己的発想に
縛られている人間には理解できない可能性がある。
で、日常的な例として、(これは自ら生きることを放棄してはいない人間という前提
だけど)誰かが誰か気に入らない人間を殺したとしたら、人は加害者の彼を気に入らない
ことがあれば相手を殺す人間だ、と見ることになる。
今度は自分が殺されるかも知れない、って考えたら、そういう人間と人はつきあおう、
と考えるだろうか、自分ならどうだ、ということだ。
思想や損得よりも、そういった最も素朴な裸の部分でのひとりひとりの信頼関係を
大事にして行けば、戦争もなくなるはずなのだ。
人間は誰でもあらゆる人間同士の関係性の中でしか生きられないのだから。
戦争も国同士の関係性を断ち切るあるいは従属させようとする行動で、かつてあらゆる戦争の後、その関係性の断絶や支配が成功し、それによって幸福らしさを築いた国が
あったとしても、多大な人間の不幸や悲しみの犠牲の上になのだ。
自分たちさえ幸福なら他は不幸でかまわない、と考えるものは必ず断罪されるはずだ。
世界の国同士だって、関係性の中でしか存続しえないのだ。
人間はいつも関係性の中でしか生きられない、だから人を殺してはいけないのだ。
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