5/17の主張             文は田島薫



(無一物について)

私は自分で人並み以上歩く方だと思っていて、何キロもある大荷物を持ってる

時以外は、何キロ歩いても苦だと思った記憶がない。

先日友人と地下鉄の駅3つ分を歩いた。その時友人は何冊もの本を詰め込んだ

大鞄を肩から下げていて少し辛そうだったけど、けっこういい年になって歩くのが

不精にならないわれわれは体のクオリティがかなりいい、と満足を感じた。


トヨタのショウルームに入ってみたら、今はやりのRV車がたくさん展示されていた。

数百万円もする巨大な乗用車で、国内外でよく売れているらしい。

そういえばトヨタは先日純利益で世界一になったらしい。

なかなかかっこよくて、おお、こんなの持ってたらうれしいかも知れない、と

思ってしまったのだが、じゃ、それどういうふうに使うか考えたら、私の今の生活

環境でのイメージは簡単に頓挫した。

必要維持費も馬鹿気てるし、第一酒が飲めない。


せまい日本の国土の中ででっかい豪華車やら、デジタル大形テレビやら、パソコン、

どんどん作られ、消費され、それを作るために忙しく働いている人々もいる。

金を持ってる人だけでなく、持ってない人も無理してそういったものを、ローンで

買い、それを支払うために遅くまで働いている若者もいるそうだ。


ま、人それぞれ、大きなお世話だけど、私にはそういう連中は物に振り回されている

気のいい人々にみえる。


物を手に入れることばかりを生活の中心に考えてると、頭からっぽで、体もなまって、

仕事のストレスでけっきょく早死にしちゃうことになるかも知れませんぜ。

こっちも飲み過ぎで早死にしちゃうかも知れないけど。


けっきょく人って裸で生まれて来て、自分の足で歩いて、裸で死んで行くもんです。

以上負け組みの負け惜しみでした。




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