3/1の主張             文は田島薫



(自己過信について)

たいてい人はだれでも自分のまわりの人々になんらかの批判を持っていて、

あの人は悪い人じゃないけど、こういうところがあって困ったもんだ、とか、

あいつはどうしようもないやつで、とてもつきあっちゃいられない、よくあれで

世の中渡っていけてるもんだ、などと、しかし、自分も他人にそう思われていること

にはあまり気がつかないようだ。


だれでも、自分の考えることは自分に都合のいいような筋道がたっているし、

自分の感じていることは何でも、厳然とした事実なわけだから、自分に対して批判的に

見るということはよほど意識しなければできないことなのだ。


大体、完璧な人間なんていないわけだし、感じ方や考え方だって人それぞれ、例えば

ある人にとって、時間の約束を守ることは人間関係では必要不可欠のもので、

これがないものとは、私はつきあうことも認めることもできない、と言ったとしても、

他の人にとっては、そんなことはたいした問題じゃないかも知れない。

それをわかって言ってるならいいけど、それがわかってなくて、そう考えるなら、

その人に対して軽蔑感を覚えるはずだ。


それに人の記憶だってかなりいい加減なもので、よく、言った言わないで人は喧嘩する

けど、聞いても、それが大事な部分でないと感じると、意識に残らない場合もあるし、

言う当人はあることを伝える意志が強くあって、それがあまりにも当然のことの場合、

自分の気持ちの中だけで反芻してるうちに、言ってないのに言った気になってしまう、

といった経験も私にはある。

そして、自分の頭の中だけでどんどん話の論理を進めていって、その時に、具体的な

打ち合わせなどしてないにもかかわらず、それを当然やったかのように思い込み、

そんな約束をした憶えのない相手を責める。


何でこっちの言ってることをわかってくれないんだ、って興奮してる時って、一番肝心

のキーワードを言い忘れていることもある。

あ、何何の話のこと?って言われて、それに決まってるだろ、って怒るけど、全然

最初から決まっちゃいないのだ。




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