9/16の日記 文は田島薫
きのうは18年ぶりに阪神が優勝を決めた。野球はあんまり見ないんだけど、サッカー地元の浦和レッズもサポーターの熱狂の割に
全然優勝できないこともあり、シンパシーを感じて内心応援していたので少しうれしい。
しかし、大阪の狂喜乱舞をテレビで見ていても、やはり他人事感はいなめない。
それに、勝っちゃった喜びのテンションはじょじょに下がってくるはずだし、喜んでいる阪神のファンひとりひとりが喜ぶ根拠は何なんだろう、と他人事な私は冷静に考えている。
何十万分の1かもしれないが自分の応援のおかげで選手ががんばれたのだ、とか、阪神は
地元、地元は自分の仲間と同意味だから、仲間の手柄は自分の手柄だ、と感じるのか、
いずれにしても、さほど根拠がないのに感情移入しちゃって、自分が戦っている気分に
なっちゃうのだろう。
ま、一喜一憂しても、熱中している時になんだか生き甲斐のような感じを味わっているんだとすると、優勝しちゃうと、もうそこでおしまいなわけだから、なかなか勝たないのも
楽しいことだといえるんだろう。(レッズがなかなか勝たないのもそういう意図があるのだ
…なわけないか)
前日(だったかな)には70才の三浦雄一郎がエベレスト登頂した話をテレビでやっていた。彼は65才の時からその準備を始め、ただ歩くことさえできるだけ避けたいと考える人々が
いる中で、初老の彼は足のウェイトトレーニングをやったり、ふだんも、足に数キロの重り
をつけて、歩き回ったりのトレーニングをし続けた。
で、登頂に成功した直後、75才でまた中国側からエベレスト登頂に再チャレンジするのだ、
と、またトレーニングを始めた。
人はそういうふうに生きるべきだな、と思った。寝転がってながめながら。(…他人事か)