9/8の主張             文は田島薫



(平和の守りついて)

テレビで米国の9.11テロ後の人々の生活といったインタビューをやっていた。

それに遭遇した時の人々のショックは、やはりなるほどと感じた。


だからといって簡単にアフガン攻撃や、イラク攻撃に突き進んだ米国政府に

疑問なり反省なり感じるのが正常な感性だと、私は思うのだけれど、それを

している米国民は番組の中では少数に見えた。


現実に本気でイラク攻撃などを正しいと盲信しているように見える人々が大勢

出て来たし、あーこの人たちは本気なんだな、と感じさせられた。


政府に批判的な人間も、そう言った意見を身近な人々に向かって率直に表明する

ことが、はばかれるような雰囲気があるそうだった。

現実にそういった話をして隣人たちに不愉快な気持ちになってもらいたくないし、

自分たちの平和な生活を守るために、政府がいつも正しい政策をやっていて

くれている、自分たちは彼らにまかせておけばいいんだ、と信じたいのだ、

と言った。


きれいで便利で大きな家の芝生の庭で、近所の仲良しが椅子ををならべ、ひとりが

アフガン攻撃などについての疑問を言った。

すると、新聞ぐらい読みそうな初老の男が、「それをしなかったら米国じゅうに

テロが続発したろう」、と言って、それで議論はおしまい、とばかりに立ち上がり、

もう家へ帰ることにしよう、と言った。


米国には、ものを考える人間と、考えない人間と、考えることを恐れる人間がいる。

豊かな物質に恵まれた夢いっぱいのアメリカ、自分たちの平和な生活を守るために、

考えることが否定されるなら、今、米国は空しい国だ。


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