連載●文はクボユーシロー
何でだろう2
(嫉妬心その2)
『他人の不幸は蜜の味』、古今東西だれもが心から納得する楽しいことわざである。
この言葉はもちろん嫉妬の裏返しである。人は他人の失敗でエンジョイする、
というかとても心が癒される。しかし、それ以上に他人の成功や幸せはうらやましい
と言うよりも、全くもって癪にさわり不愉快この上ない(僕が言うんじゃなくて、
以前テレビで落語家が言っていた)。めらめらと燃え立つあのエネルギーは一体全体
何なのか。自分にとって得にならないどころか犯罪と分かっていて、その刑罰も顧みず
凶行に及ぶ『嫉妬』が原因の事件はいくつもあった。人間社会に無駄というか不必要で
邪魔になる『心』であるなら、とっくの昔に人類の体内からその遺伝子は消えていた
はずである。完全に消えてなくても、珍しい心の病気として遺伝子が残るぐらいなら
理解できる。それがなんと、今日の人間全員(勿論、例外もあるだろう)にしっかりと
『嫉妬遺伝子』が受け継がれてきたのである。一体、何でだろう。
よく『種族保存の法則』で総てを語り、この『法則』で問題を帰結させる人がいる。
この『嫉妬心』の問題に対しても、『嫉妬する遺伝子』が「人類の進歩に必要だから
残ったのだ。」と言い切ってしまい、「こんなメリットもたくさんある。」と例題を
上げることもできるだろう。しかし、人類に悲しい物語をイヤというほど残してきた
この『嫉妬心』。
あらゆる欲望を捨て去り、禅宗の坊さんのように厳しい修行をして悟りを開かないと
人は『嫉妬心』と決別できないのか。いや、坊さんの世界だって『嫉妬心』が渦巻いて
いるはずだ。世界中の宗教は醜い争いの末、いくつもの宗派に分かれてきた歴史があり
今なお分派抗争は止まない。どこのお坊さんも元気いっぱいでいいね…。
そうか、『嫉妬心』は人間社会の元気の元だったんだ。きっと!? おわり