3/31の主張 文は田島薫
(偽善民主化論について)
米国でも日本でも、イラク攻撃反対の意見に対抗する意見がある。
独裁のフセイン体制を倒して民主化するのが、何でいけないんだ。
多少犠牲があってもそれの方がいいじゃないか、と言う。
よく気をつけて見てみよう、そういった意見を言う人々を。ほんとに前線に向かう米兵の一部のように「洗脳された」純朴な若者には
同情を感じるが、米国のトップで決断する連中や尻馬に乗る日本人たちを。
きょう見た新聞では、1人のイラク人が民主化を支持していたが、彼は20年
前に国に家族を残して日本に来ている男だった。
ほとんど共通するのは、自分の身を安全な場所に置いているということだ。多少の死者や犠牲はあるだろう=自分以外の、というわけだ。
米国のブッシュにしてもラムズフェルドにしても戦争体験はない。前線にいた戦争経験のある人間は人の死とか殺戮を実感しているはずだが、
それを経験しなかった人間は、それを想像力で補強できるはずだ。
しかし、そういった経験も想像力もなしで、机上やコンピューター上の戦略
のみで、決論する人間たちが日米ともに増えている気がする。
だいたい、イラクが独裁だとしたって、それはイラク国民が解決する問題であるし、それに協力する時間をかけた国際的な平和政策の方法だって
沢山あるはずなのに、彼ら自身が自分たちの命の犠牲を払ってまで今すぐ
米国の武力でそれをしたいなんて、いつ言ったんだろう。
イラクの軍人だってイラク一般人の息子や父親たちだったりするし、
米国側は米軍1人の死に対し、イラク軍100〜1000人の死といった目算なのだ。
米国の都合による言い訳の理屈を鵜のみにし合理化し、それに頼って思考停止するのはいいかげんに卒業しようではないか。