3/17の主張 文は田島薫
(米国追従論者について)
簡単に米国側の論理に付いてしまう人々がいる。
私はそういう連中はかつて自分の頭で真剣にものを考える習慣がなかった
人々だと感じる。考えたとしても、その主題は常に自分を中心にした「利益」
の域を出ない人々だ。
国連査察団の95%の大量破壊兵器は処分されているはずだ、という報告も無視して、ないことを証明しろ、などと言う米国の本当の目的はフセイン
体制打倒らしい、とみなが感じて来ていても、
「イランイラク戦争時クルド人に化学兵器を使用し、クウェートにも侵攻し、
国内では独裁で民衆に圧政をしいているサダム・フセインは悪人だから、
民主国家の米国がそれを滅ぼして民主化してやるのだ」といった物語を
無邪気に受け入れてしまい、それでいいんじゃないか、と思っているのだ。
イランイラク戦争時にイランに侵攻したイラクに米国はさかんに武器援助し、その時はイランの方を脅威に感じていたのだから、それでよくて、今度は
クウェート侵攻もあったし、イラクがテロ組織に武器を流すと感じたから、
イラクが悪になったのだ、と。
湾岸戦争後、米国の爆撃や、劣化ウラン弾の影響や、経済制裁によって、百万のイラク国民が死んだって知った事ではない、米国にとっては悪を裁いた
だけのことだ、といった立場なのだ。
湾岸戦争時もそうだったが、米国の攻撃はハイテクピンポイントだから犠牲は最少で済むのだ、といった話も鵜のみにし、今度はもっとハイテクだから
より犠牲は少なく、短期間で済む、と。
これらは、概して米国側の犠牲についてであって、イラク側の一般の犠牲の
規模にはなんの保障もないのだ。
やってみなけりゃわからない、といったとこなのだ。
自分は安全な場所にいて、結局自分の側にそれほどのダメージはなさそうだから、
イラク攻撃もかまわないといった結論を連中は断言しているのだ。
イラクに対してのメッセージなのだから、反戦的発言はイラクに間違ったメッセージを送ることになる、などと言う連中がイラク攻撃を止めるための
自己努力と力を持っているかは、はなはだ疑問だ。