6/23の主張             文は田島薫



(価値観について)

誰でも自分の価値観にそって、努力し、その成果を誇らしく思ったり、

みじめに感じたりしながら、各々の人生を送っているわけだろう。

価値観は人それぞれ違うわけだから、価値観が違う人が他人の価値観に対し、

いいとかわるいとか言うことは無意味で、大きなお世話だ、という意見は

もっともだと思う。


それでも、あえて私は、たいがいの人々がちょっと一考すべきじゃないか、

と思うことを言いたい、多分月並みな発言だろうけども。


私は美大で商業デザインというものを学んだ(ということになっている)。

商業デザインは、いわゆる今の資本主義経済の中でいかに、人々の消費意欲を

喚起できるか、ということが最大のテーマだった。

そのためには、人の理性と感性をこちらの都合のいいように誘導する、といった

テクニックを鍛えるわけです。


古典的な例えで、優秀なセールスマンは、極北のエスキモーに冷蔵庫を売る、と

いった話がある。

冷静に考えたら不必要なのだけど、針の穴ほどの理屈、食品を氷らせずに済む、

といったことで、納得させてしまうのだ。


情報時代の現代は同じようなレベルの多様なセールスアプローチがあふれている

わけで、誰でも知らず知らずそれに誘導されてしまっていることを大いに自覚し、

自分の主体性を見失うな、ということだ。


業界は買い替えを期待し、常に目先の新しい情報や物を作り、それを無視したり、

手に入れなかったりするんでは人間のレベルが低い、って、言わんばかり、

あなたほどの高級層はこのくらいの住居に住み、これくらいの車に乗るべきです、

時には家族で海外旅行も行くのが常識でしょう、そのためには、誰だって時には

おしゃれなローンも気楽に使う時代です、といった具合だ。



はなやかな物に囲まれ、それを得るために死ぬほど働く、それはそれでいいけど、

年老いて死ぬ時に、あなたは誰だ、と聞かれた時、私はこの家とこの車と高級な

妻と子供を「所有」した、それが私のすべてです、って、

しか答えられない状況でいいのか? 避けたいなら、…っていうことだ。

(避けることない、それでいい、って?)


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