6/9の主張 文は田島薫
(ノ・ムヒョン大統領に学べ)日本では、今始まったわけでもない上、解決の糸口が見えだした拉致問題に
拉致拉致、犯罪国北朝鮮と一方的に国じゅうで大騒ぎしている。
一方韓国では日本の何十倍か百倍の拉致被害に会いながらも、辛抱強く、
平和的な交渉によって解決して行こうという太陽政策を行うノ・ムヒョン氏
が支持されている。
日本では北朝鮮は普通の話し合いの交渉では展開がないので、経済制裁などで威し付けるべきだ、と一部の政治家や拉致被害者たちが当然のことと主張している。
その根拠は、拉致と核開発だ、と、拉致は進行中のことでないし、核開発の危険性、
というのは、米国の一国核軍備独占政策に反する、という米国の立場を無批判に
鵜呑みにしているだけの根拠だ。
はっきり言って日本の一部世論は気分で状況の雰囲気に便乗しているだけなのだ。
日朝国交交渉で開きかかった扉をなぜ、自分たちだけを正当化したかたくなな意見で閉じるような、子供だまし風のポーズ政策で乗り切ろうと考えるのだ。
拉致は悪いことだろうが、すでに行われてしまい、国家機密を握らせた立場になった
被害者を、即座に全員返せ、と言われたって、日、韓、米にまだ心を開いていない
キム・ジョンイルが、威されても言う事を聞くはずがないないだろう。
そうしたら、今度は米国による武力攻撃を支持するつもりなのか、無邪気無責任に。
相手の危険性を恐れるのでなく、平和で前向きな状況を望んでそれに向かって話し合い、努力して行くことが大事だとノ・ムヒョン大統領は言った。
強硬路線はさんざん努力の末の仕方ない手段なのだ、と日本の彼らは言うが、さんざん努力の末というのは本当だろうか、どう見ても私には、まだ先日始まった
ばかり、としか見えないんだが。
日本人は政治に関して、恐ろしく創造性と主体性が衰えているのじゃないだろうか。話し合える相手じゃない、って言うなら、それは鏡の自分を見ているのだ。