7/22の主張             文は田島薫



(不正の本質について)

1年数カ月も前に当人も詫び、辞職し、弁済もし、制裁は済んだと私も思っていた

元社民党の辻本氏が突然逮捕された。

社民党のベテラン秘書のアドバイスを受け、ほとんど名目だけの公設秘書を置き、

その給与の大部分を他経費に流用した、自他共に、それは不正だったと確認した。


何で今さら逮捕なんだと、ほとんどの人がいぶかしがったようだが、街中の

インタビューで、悪い人だったんだな、と言ってる人がいた。

政治家の世界に限らず、家族を名目上の会社役員にして、納める税金を少なくする、

っていったことは、日本じゅう行われていて、それが一応違法でも、大目に見てもらえる

慣習があるのだと、言われて、それでもなおきちんと「完璧に」処理する人がいるん

だろうか。(いるかも知れない)


だから、そういった人間の弱さを知り、法律によって不正をなくすようにしている

わけだけど、その法律の網をくぐりぬけることをまたほとんどの人間は考えはじめる

わけで、だから、本質的に同じことをしていても、逮捕される人とされない人が

出て来るわけだ。


法律を守る努力をすることは大事だし、知らなかったということで許す、ということも

できないけども、とにかく、法律とはそういうもんなのだから、不正のもっと本質的

なものにわれわれは目を向けるべきだろう。


法律をやぶった人がいて、その人は誰にどんな迷惑と損害を与えたか、考えるべきで、

人々に多大な迷惑やら損害を与え続けているのに、一応法律上は逮捕できない、といった

状況があったら、どっちを問題にすべきだろうか。


誰かに操作された、正悪の印象に気持ちで流されずに、常に誰が世の中や世界のために

なっているのかを意識続けることの方がいい。


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