8/11の主張             文は田島薫



(奴隷根性について2)

イラク戦争前のこの欄で米国追従論の政治評論家たちのことを批判したのだが、

アフガンに続き攻撃の根拠に正当性が著しく疑われ、国際世論に批判されている、

イラク戦後の今でも、懲りずに同じ主張をくり返している老人がテレビに出ていた。


日本は米国の核に守られる以外に安全はないのだから、米国がどんなに理不尽な

他国侵略をする場合でも、ただ追従するべきで、批判してはいけないし、批判する

権利もない、と言うのだ。


今日本人は米国のおかげで安全にまた、物質的にも幸せに暮らせている、それを

守って行くためにはそれしかない、と言うのだ。


世界一強大な武力を持った米国は、他国を攻撃すると決めた場合、まわりでどう

反対したって、言うことを聞かずに決行するだけなのだから、反対は無駄だし、

結果が同じなら、反対をせずに悪感情をもたれないように行動する方が得だ、

と言うのだ。


世界情勢に主体的に意見を持って世界平和のために貢献する、といった立場では

なく、自国の安全さえ守られれば、他国にどんな理不尽な惨劇が起きても、知った

こっちゃない、考える必要はない、と言うのだ。


それで、いいんだろうか?すべて世の中の動きは力関係で決まると考え、目前の

力にすぐに屈して追従し、それ以外の行動は発想さえできない、てことで人生、

意味があるのかな。

自分たちだけそれらしく文化的に着飾りおいしいものでも食べられれば、世界の

人々が不幸になりそうな時でも関係ない、ってことでいいんだろうか。

人間としてのプライドって何だろう。


米国にだってネオコンに反対する勢力も沢山ある、と自覚するべきだし、日本が

主体的に行動していかなかったら、世界の良識と連帯していく力だって生まれる

はずがないだろう。

あなたまかせの発想はもう国際人としては失格だと、気づいてもいい時期だ。

ま、あのじいさんの意見に共感する若者はいない、とは思うけど。


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