発          言
ココアに関係ある人物たちの発言のページを作りました。
多分、こころおきなく考えを表明するということで、まとまった量の文章になる場合もあるし、
月1〜年1ぐらいの掲載になるかもしれません。(2004/1 コメント修正)


4/10/2006

お待たせしました! 論客シャンさんの第24弾。
今回は、役者の技量を見切る専門家による「演劇評論」。

酩酊放談

小泉劇場から渡部劇場へ        

                      上 一朝(シャン カズトモ)

小沢一朗が民主党代表に選ばれて、久しぶりに政治が面白くなってきた。小沢一朗がどう

こうというより渡部恒三という老練な政治家の出現が政治を面白くしてくれる。

老練な政治家というより、はじめて廓に上がった前原執行部にまわしをとって、いいよう

にあしらった鑓手婆のようなものだ。メール事件の行き詰まりをすばやく読み取り、失言

のふりをして代表選挙前倒しを計り見事に成功させたやり方は、さすがに人を見ることに

長けた角さん仕込みの腕前がうかがわれる。

代表選びは話し合いで、というのを執拗に選挙に拘り、小沢と菅にたがをかけ、両人の支

持者にも踏絵を踏ませて勝手な行動を封じてしまった。こういうやり方は本来自民党の得

意とするところであったが、自民党はいつのまにかみんな仲良く、の政治ごっこになって

しまい小泉独裁の土壌を作ってしまった。

この先、渡辺、小沢コンビが民主党を少しでも政権に近づく方向にもっていけば旧社会党

勢もおとなしくなり、渡部恒三という重石があるかぎり民主党はまとまるのではないか。

片や自民党は、麻垣康三の誰が自民党総裁になっても今までの民主党と同じようにゴタゴ

タが絶えないだろし、政党内のまとまりのなさということでは民主党と自民党が入れ替わ

ったようになるだろう。

九月の自民党総裁選次第では衆院選も早まり、自民党の刺客が小沢を刺さないかぎり思い

もかけない結果が生まれるかもしれない。恒三さんのお陰で、また政治が楽しめそうだ。



【おまけ】

銀行の利息ほどに少ないココ通の読者から、前号に書いたC.Eルメイはどこの選手です

か?、と聞かれた。

彼は、一夜に十万人を殺戮した東京大空襲を始めとする無差別爆撃を立案実行したアメリ

カの空軍少将(後参謀総長)です。64年に自衛隊の発展に多大の貢献をした。として、

日本国より勲一等旭日大綬章を贈られた。



4/3/2006
お待たせしました! 論客シャンさんの第23弾。
今回は、やっぱり日本国民、バカの自覚足りないかも、って。

酩酊放談

さくらの歌        

                      上 一朝(シャン カズトモ)

さくらの歌といっても、♪さくら さくら やよいのそら♪ のことではなく、ひところ

相撲の歌といわれた「こっか」のことです。アナウンサーの発音の試験みたいですが、さ

くらは「こっくヮ」だから「こっか」にひっかけたわけではありません。

さくらが咲くころになると卒業式、入学式も花開きます。その式場で、君が代を歌うの歌

わないのと必ずマスコミをさわがせるので、相撲の歌変じて「さくらの歌」。

国歌君が代問題。個々の顛末は毎度のことで皆さんご承知と思うので省きます。が、現場

の教師は大変らしい。都立高教職員の君が代斉唱を義務付けた10.23通達がでてから

神経症になる教師が増えたとか。理由は個人の心情との葛藤にあるようです。クリスチャ

ンの教師は君主を讃える歌は歌えない、と。イエスを讃える賛美歌は歌えても君が代は歌

えないそうです。また、自分の教育理念に反するから歌えないなど、理由は多岐にわたっ

ています。10.23通達以来教師が起立して歌わないと処分の対象になる。すなわち食

い扶持に影響がでるので神経症になるほど悩む、というわけです。

君が代は天皇を讃える古歌であるからして、天皇制と一対の位置にあります。君が代反対

と天皇制反対。これも一対の位置にあります。なぜ天皇制反対かというと、先の15年間

にわたる軍事国家における天皇の位置を理由にする意見が大方をしめています。では、戦

後の60年間はどうかというと、革命をやりそこなった社会主義派と15年にわたる軍事

国家を清算しない体制派がもたれあって、いまだに混沌とした時代をすごしています。

神がかり的に抑圧された15年を糾弾するのは結構ですが、やみくもにその15年にこだ

わるのはいかがなものでしょう。60年という時間があったのです。もっと冷静な位置か

ら天皇制と君が代を考えることができなかったのでしょうか。

サッカーの国際試合で、観客席の若者が強制されたわけでもなく起立して君が代を歌う姿

を見て、文部科学省のバカ役人どもはもっと自然体で君が代を教える方法を考えないのか、

とあざ笑っていましたが最近その考えが変わってきました。

国歌とその扱いについては、その中身は別としてきちんと教える必要があります。イデオ

ロギーではなく、お行儀の問題です。反対派は一声でも君が代を歌うと権力への敗北だと

思うようです。歌うべき時は歌いながら、多くの国民の賛同を得るような反対運動がなぜ

できないのでしょう。こんなことで国際的お行儀を教えてもらえない子供達は不幸です。

先日の「タケシのTVタックル」でタケシの見識に感心しました。憲法改正にともなう国

民投票法に賛成か反対かというとこで彼一人が反対をしました。その理由は、「いまの国

民に国民投票法の意味がわかるのでしょうか」ということでした。つまりわが国の民度の

問題を問うたわけです。

百万人が「バカの壁」を読んで自分がバカであることを認識し、こんどは「国歌の品格」

を百万人が読んで、―いけないことはいけない。論理では答えは見つからない。卑怯な人

間は生きる価値が無ない。―「いいことが書いてありますね。こういう本が出るのを待っ

ていたんです」と、したり顔でいうオジサンの姿がテレビで紹介されていました。

品格なんてものは、本一冊に教えられるものではないのにこの体たらくです。元総理大臣

の田中角栄がうまいことを言ってます。「人格は直せても品格は直らない」と。

似非知識人は量産しても知性を持つ人間を創らないわが国の教育システムでは、とても君

が代問題を冷静に考えることなどできません。あと何年「さくらの歌」でスッタモンダす

ればいいのでしょう。


3/27/2006
お待たせしました! ちょっと間があきましたが
論客シャンさんの第22弾。
今回は、先日の優勝についての周到な総括・オチのオマケ付き。

酩酊放談

人生なにがあるかわからない 
 人生これと決めてもつまらない
         そして 
Nobles Oblige
         

                      上 一朝(シャン カズトモ)

久しぶりにシャンさんの長口舌。

WBCで王ジャパンが優勝したのは慶賀のいたりである。

O.Nコンビが球界を賑わせてからそろそろ三十年を数える。その後の二人の生き方には

おおきな違いがみられた。長嶋は、大袈裟にいうと日の当る道を歩みつづけ、病に倒れた。

王は77年に756ホーマーで初の国民栄誉賞に輝いた後も、地道に野球の現場を歩んで

きた。

WBC参加代表チームの監督になってからもリーグ開幕を控えた有望選手に参加を断られ

るなど、けして恵まれた船出ではなかった。また、今回参加した選手達も、皆一癖も二癖

もあり、自分の殻にこもらず可能性を追及してみようと所属チームでの損得をさておいて

参加したように見える。

「王監督に恥じをかかせるわけにはいかない」とイチローにつぶやかせ、王に化けた松井

が監督になる。という漫画でからかわれたWBC参加。試合の流れから言うとメキシコが

アメリカに勝たなければ日本の優勝はなかった。しかし、それだけとは思えない。イチロ

ーの存在である。

大方の下馬評で日本は緒戦で負け、イチローはくたびれもうけ。自己の都合を優先した松

井のほうが賢いと言われるのがオチなのになぜ彼は火中の栗を拾ったのか。彼の心の中に

どのようなナショナリズムが芽生えたのかはわからないがそれだけとは思えない。

メジャーリーグを良く知る自分が、国際試合の経験の少ない日本の球界に貢献すべきだ、

と考えたのではないか。簡単に言えばアメリカ野球のやりかたを教えた。もっと簡単にい

うと国際試合への先達である。日本独特の、自己規制を強いる村社会にドップリと浸かっ

た選手に、個人の持つ可能性を気づかせたことは大きい。

技量はもちろんのこと、ムードメーカーとしても彼の貢献度はおおきかった。アメリカ国

内で人気のある彼への声援は他の選手をも奮い立たせた。

恥じをさらして終わったかも知れないイチローに「高位者の義務」を感じたのは酩酊子だ

けだろうか。

アメリカの利己主義で始められたWBC。アメリカ人審判の祖国を裏切る行為がなければ

これほどの話題にはならなかったのではないか。

参加国への分配金もなんとアメリカには総分配金の30%が入るとか。優勝チームへの報

奨金も未確定のまま、ルールも時期もアメリカの都合のよいように決められた。その結果

がこれである。アメリカ野球の強さを世界中に見せつけてやろうと目論んでいたところ、

日本が優勝してしまった。世界最大の軍備をもってしてもイラクに勝てなかった夜郎自大

のアメリカに、「人生なにがあるかわからない」を教えてやった。

肝心な時は知らん顔で、手前らが得になると動き出す日本の政府筋がなにやらを企み、参

加選手全員に紫綬褒章授与を考えているそうだ。国民栄誉賞第1号、WBC優勝第1号の

王監督も同じ扱いなのか。カーティス・E・ルメイに勲一等を贈った国だ。あの誤審をし

た審判にはどんな勲章を贈るのだろうか。

酩酊子は、表題のテーマを、WBC優勝ドラマに直接感じたわけではない。規制と既得権

に安住する、おかしな横並び社会を再び求める声が出始めているとき、表記のテーマを感

じさせるドラマが繰り広げられただけである。

願わくば、参加した選手が自分の村(チーム)に帰っても、「やればできる」という貴重

な体験を忘れないでいてもらいたいものだ。

余談になるが今回のWBCは、殿様が自分に都合のいいルールで開いた剣術の試合で、日

頃ゴマをすっている家来が、殿様に面を打ち込んでしまったようなものだ。

このことは、これからの日米関係を暗示するようで、これはこれでまた面白い。



1/30/2006
お待たせしました! 論客シャンさんの第21弾。
今回は、自己中、って自覚がないから厄介物、って「回文」。

酩酊放談
さーて こまった       

                      上 一朝(シャン カズトモ)

劇作家宇野信夫の本におもしろいことが書いてあった。

〈この間友人がきて、こんな話をきかせてくれた。

素人の義太夫語りが、赤い顔をして一所懸命に唸っていると、客席から、

「まずい、ひっこめ」という声がかかった。すると素人の義太夫語りはピッタリと語るの

をやめ、ひらき直って、

「今、まずいひっこめと言った人は、ここへ出ろ。生意気なことを言うな。そんな贅沢を

言うなら、ためしにここへ上がって語ってみろ、そこで胡座をかいて聴いているようなわ

けにはいかないぞ」と、怒鳴った。

すると、聴き手は言った。

「まぁためしにここへ下りてきいてみろ、とてもきいちゃいられないから―」

「どっちが尤もだと思う」と、友人がきいた。〉



「ジコチュー」という言葉が世に出て久しい。

自己中心的に物事に対処する人のことをいったようだが、あの頃の「ジコチュー」はまだ

まわりを見る目があった。

たとえば、公共の場で勝手な振る舞いをして注意されてもふてくされるくらいで、まわり

の意見を聞いたものだ。先の話でいえば舞台を下りてきた。

ところが、いまの「ジコチュー」なかなか舞台を下りようとしない。

わかりやすい例でいえば、ホリエモン氏と小泉首相である。

ホリエモン氏は「なにごとも金」という義太夫を唸り、小泉さんは「なにごとも改革」と

いう義太夫を唸って、聴き手の迷惑など寸も考えない。

「二人とも舞台を下りて客席にきてみろ!」。といっても…。

ホリエモン氏は舞台を下りる前に舞台から落っこちてしまったし…。

あとは小泉さんだが。彼は「なにがいけないんですか」と、舞台に上がれともいわないで

ひらき直るだろう。

議論でも交渉でも相手をよく理解した上でなければ真の結果はでないし、たとえ結論が出

たとしても場当たり的で上っ面のものになってしまう。

こういう人達とうまくやっていくのにはどうすればいいのかな。

1/30/2006
お待たせしました! 論客シャンさんの第20弾。
今回は、日本をお調子者が仕切ってる、って警告。

酩酊放談

李下に冠を整した小泉首相       

                      上 一朝(シャン カズトモ)


活力門(ホォリィメン)事件(百戦錬磨の投資家にとってはチャンス)に対する小泉首相

の対応は情けない。

その詳細は新聞、TVで報じられているので繰り返さないが、野球の近鉄買収騒ぎに始ま

るマスコミの浮かれ方と同じように「君のような若者が政治に入ってくるのは素晴らしい」

と、彼はやってくれた。


検察は、活力門のニッポン放送、フジテレビ株買収騒ぎのころから目をつけはじめたとい

う。

第5次吉田内閣の時、造船疑獄にまつわる佐藤栄作自由党幹事長に対する犬養法相の指揮

権発動を良いことだとは言わないが、一国の首相たるもの自分の国で何が起こっているの

かくらいは把握していてほしいものだ。それを三流マスコミと一緒になってハシャギまわ

ったあげくに、やり損なって批判されると「この件と昨年の衆議員選挙で党幹部が堀江氏

を応援したこととは、別の問題と考えている」「会社でも社員が不祥事を起こしたら採用

が間違っていたと言うのか」「さんざん堀江氏を持ち上げたマスコミはどうなんですか」

と御託を並べたて、いよいよ逃げられないとなると「不明といわれれば甘んじてうける」

とはなにごとか。(小泉流にヒネッて読むと甘受の甘には、〔考え方のいいかげんな〕と

いう意味もありますぞ!)。


「カネさえあればいいという生き方を国民に広めた首相の責任…」と民主党は言っている

が問題はそんな浅いものではない。

一国の宰相たる者の資質を怪しむ問題だ。小泉首相には大局を見るというセンスがないの

か。

後継総裁候補に対して「志士は溝壑に在るを忘れず」なんて孔子の言葉を引っぱってくる

くらいだから、「古楽府−君子行」は、とっくにご存知だと思っておりましたがね……。

1/23/2006
お待たせしました! 論客シャンさんの第19弾。
今回は、慣習だけで生きてると享受できない「交流」、の紹介。

酩酊放談

継続は義務なり       

                      上 一朝(シャン カズトモ)

「継続は力なり」と言ったのは誰でしたっけ。

「継続は義務なり」と言い放つのはココア通信田島主幹です。

インチキマンション、雪害、宮崎判決、ライブドア、東証パンク、米国産牛肉、サマワの

緊迫と次から次えと問題が起きます。こんな幸せな時代をすごしていると、意見も、異見

も、違憲もありません。しかし、「継続は義務なり」です。仕方なく先年某宣伝誌へ寄稿

したものをもとに、再度のお勤めをさせて「義務」を果たすことにしました。題して「散

骨っていいもんですよ」。


真夏の空を映す海も青い。心地よくジャズのながれる灼熱のマリーナにバーベキューセッ

トと食事がならび、飲み放題の酒もうれしい。とびかう会話は10年の知己のようにはず

む。きっと楽しむ術をよく知っている人達なのだろう。

暑さにまけた人はマグロのように寝ころがる。パーティーに参加した船のオーナー達に囲

まれ、ジャズの演奏も佳境にはいると、仲間の船から捕れたてのカジキマグロのおすそわ

けが届く。ひさびさの本物の味がまた酒を呼ぶ。

「高級な怠惰を感じるわ」とうまいことを言う家人のそばでは「ジャズっていいね」と大

人の遊びにはじめて参加した高校生の姪が、そっとドンペリをなめながら目をまるくして

いる。

おもいきり働く人はおもいきり遊べるのか。暑さとアルコールで朦朧とした頭の中に浮か

ぶ「日常」をふきとばす「解放」の二字が、サックスの調べにのって夜半まで渦巻きつづ

いた一日であった。

この素晴らしい仲間達を引きよせるパーティーを企画・実行したのがKである。

袖触れ合うも多生の縁という言葉がある。前世の因縁をさす言葉らしい。

Kという不思議な人物と袖を触れ合わせたのは父の散骨のときだ。いくつかの業者にあた

っているうちにKとめぐりあった。多生の縁かどうかはわからない。

逢う前は金持ちが船をもてあましてアルバイトをしているのだろうと思っていたが、会っ

てみてちがうことを知らされた。誠実なのである。その誠実も商売としての誠実ではなく、

自分に誠実なのだ。散骨を業にするにあたってのいろいろな苦労話を聞いているうちにK

の人生にいくつかの屈折があることが感じられた。

彼はこの屈折をポジティブにとらえ、散骨というなかなか認知されにくい仕事にとりくん

でいる。ときに豪放に、ときには繊細に誠実があらわれる。しかし、その誠実は「お安く

しときましょう」とは言ってくれなかったけど。


家代々の墓のある父が散骨をしてくれと遺い残したと聞いたとき、ピンとくるものがあっ

た。

中年で兵隊にとられシベリア拘留を経験し、多くの戦友や、軍隊として保護すべき民間人

が、手立てもなく目の前で死んでゆくのを見た父は生きるということへの考え方が変わっ

たようだ。それと同時に死というものも個人に帰趨することと考えたのではないか。俗世

間から解き放たれる死後こそ自由でありたいと。

生粋の江戸っ子の家系でありながら、祖父の仕事の都合で一人国府津に生まれた。そのた

めか海が好きで、また、その地を愛していた。

散骨の地を国府津沖に決めたのは母である。また、散骨が終わっていちばん嬉しそうなの

も母である。とくべつ仲のよい夫婦ではなかったが夫を生誕の地に解き放ってやったのだ

ろう。

「はじめのうちは皆さん心配しますが終わると喜んでいただけます」Kの言葉どおりに満

足のいくものだった。

「BGMは何にします」と聞かれたときは「えっ」と思ったがジャズ葬をやろうというK

のことだからその意味がすぐわかった。

父は未完成交響曲が好きだったが、どうせ変わったことをやるのだからと、これも好きだ

った美空ひばりのCDを使った。

船上に流れる音楽を聞きとがめた兄が顔をしかめるので、意図を話すと納得したのか、彼

なりの追憶にはいっていった。

地元漁師が嫌うので「出航地で目立たぬように喪服は避けてください」と言われ、「なん

でそんなことを」といっていた者も、帰りの船のなかではまるで自分が海に飛び込んだよ

うに晴々とした顔をしている。

船の定員が許すのなら、散骨と聞いて「伯父ちゃんらしいわ」と言った従姉妹たちも呼ん

でやりたかった。


1/16/2006
お待たせしました! 論客シャンさんの第18弾。
今回は、大人ぶった意見にもインチキはある、って教え。

酩酊放談

ネズミ踊りでどこが悪い!        

                      上 一朝(シャン カズトモ)

天下の朝日新聞が10日の夕刊コラム素粒子で、「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに

甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」とやらかしたのに対して、当

の浦安市から「新成人が自ら実行委員会を立ち上げ皆で考えてつくりあげた式だったのに

『ネズミ踊り』という表現は配慮が足りない」と抗議があった。

朝日新聞は、エスカレータで急ぐ人がドタドタと歩くことが問題になったころ、ドイツで

はこの行為が弱者に多大の迷惑になっていると問題視されているのを知ってかしらずか、

時の大記者H氏が「ヨーロッパでは急ぐ人の為に片側を空けるのはあたりまえだ。デパー

トのオバサン歩きが社会に蔓延してるようでは、云々」と書いて世間にクスッと笑われた。

その朝日新聞に抗議するとは浦安市もたいした度胸があるもんだ。浦安市長からの抗議書

にはあらためて返事をするとのことだが、NHKの問題ひとつにしてもいまだうやむやに

している朝日新聞がきちんとした弁明ができるのだろうか。


おっと!今回は朝日新聞の悪口を書くつもりはない。成人式である。

そもそも成人式は、蕨市の青年団が敗戦でうちしおれている青少年に元気をだしてもらお

うと始めたお祭り事ではないのか。そのお祭りに徴兵検査がなくなって青少年に活を入れ

る手段がなくなった行政がとびついて、お祭りをかくも仰々しい〔式〕にしてしまった。

成人になるほうだって役人や政治家のつまらんお説教を聴かされて「ハイッ!今日から大

人ですよ。少年法は適用されませんよ」といわれても困ってしまう。


むかしは大方の人が高等小学校を卒業すると社会人になった。世間が大人にしてくれた。

20歳の徴兵検査は命を国家に預けますよという儀式であって、いまの子供のように大半

が大学へ行き、30過ぎまで親掛かりで生活する連中の成人式とはわけがちがう。

彼らはまだ子供なのだ。ネズミ踊りでもなんでも、20歳の節目としてのお祭りにすれば

いいのではないか。今年も某市の式場でも騒いだガキがいて、それを彼のサスケ議員が羽

交い絞めにして連れ出した。相変わらず行儀が悪いのなんのと非難が起こったようだが、

もともとそういう躾がなされてない者に「今日から大人です。きちんとしましょうね」と

言うほうがまちがいだ。酔っ払いの不始末とおなじで彼もいつか恥じ入るだろう。


お祭りとはそんなものだ。今朝の東京新聞一面に、海に入った神輿のうえに振袖姿の娘が

乗っている鎌倉の成人式の様子がカラーでのっている。老眼でみると娘を紐で神輿に縛り

付けてあるように見える。「なんてことを」と、よくみると帯紐の見まちがえだった。

つぎに感じたのは、着物を海水に濡らしては洗い張りもできないだろうな、化繊のレンタ

ルかな。とおよそ本題からはずれたことだったが、ほほえましい光景だ。この前につまら

ない〔式〕があったかは知らないが、彼らの作った20歳のお祭りは一生心に残るだろう。


官製の〔式〕場で「ハイ!今日から成人です。身の引き締まるおもいです」と答える珍成

人を求める朝日新聞は浦安市長にどんな返事をだすのだろうか…。

あっ!また悪口になってしまった。




1/10/2006
お待たせしました! 論客シャンさんの第17弾。
今回は、これでいいのか日本、みんなも考えようよ、って(?)

酩酊放談

楽観するほど良くもならない!        

                      上 一朝(シャン カズトモ)

「悲観するほど悪くならない。しかし、楽観するほど良くもならない」。オイルショック

の時の大平総理の言葉だそうです。

昨秋から景気の回復がいわれ、株価も初値で16、361円と高値で始まり、少なくとも

大手企業は明るい見通しが立ったようです。資本主義経済のもとに生きる限りこれは喜ば

しいことです。一部のすねかじり政党は貧富の二極化だなんて騒いでいますが、バブルの

時代のように一億総中流なんてことはもともとありえないことです。

金持ちは金持ちらしく、真面目な貧乏人はきちんと生きてゆければそれでいいのですが、

現実には団塊の世代の年金、退職金目当てのミニバブルを期待するようなムードがただよ

いだし、成田空港のペットホテルに10万円を払って「助かります」という能天気も出現

しています。


政治の面でも小泉郵便局改革の成功が評価を受けています。たしかに役人の首根っこを抑

えたことは評価できますが、百年のノウハウを持つ彼らがおとなしくしているとはとても

思えません。また、内政、外交、どれをみてもあぶなっかしいことばかりです。

大雪による被害が続出しても二桁台の死人がでなければあいかわらず行政は動きません。

ニート、フリータを対象に農業技術を仕込み農業法人に就職させる計画もあるようですが、

これではまるで満蒙青年開拓団の発想ではありませんか。


外交面では、中韓との政治的不和。米国軍人による八王子のひき逃げ、横須賀の殺人、佐

世保のひき逃げというまるで占領下のような事件が続きました。特に八王子の事件は警察

が伏せたそうです。こんなことなら、「独立国でござい!」なんていわないで、アメリカ

人とみれば「ギブミーチョコレート」といっているほうがよほどましでしょう。

経済の復調はいいことですが、あるほうも、ないほうも、ただ金、金といっていると、偽

装、詐欺、誘拐と人身の荒廃はますます酷くなりとんでもない国になるような気がします。


どうか「悲観するほど悪くならない」国になってほしいものです。

いまだ、御屠蘇気分の酩酊放談。何をいってるのかサッパリ判りませんね。





12/26/2005
お待たせしました! 論客シャンさんの第16弾。
今回は、生活の質は金だけで決まるものじゃない、って教訓。

酩酊放談

ハッピー クリスマス        

                      上 一朝(シャン カズトモ)

今日は猫の館の忘年会。親方以下、ノラ猫ともお屋敷猫ともつかないいつものメンバーに

10ヶ月ぶりで会う鶴女が色を添える。体調不良と聞いていた鶴女だが思ったより元気そ

うなので一安心。なんでもオンブお化けが憑いたとか。それに初対面の映画の仕事をして

いるT兄弟とベースギターのN氏。映画産業の不況のはじまりで映画関係に就職できなか

った身としてはT兄弟との技術論は楽しかった。いささかカビのはえた話を嫌な顔ひとつ

しないで聞いてくれたこの兄弟はエライ。エライついでに猫の親方お墨付きの音痴のシャ

ンさんの耳にも判るようにギターを弾きわけてくれたN氏もエライ。


ビートルズのコピーバンドで有名なキャバンクラブでのこと。

クリスマスイブなので予約をしていても合い席でお願いしますと言われた。「変なのがく

るといやだね」と言いながら飲んでいると2ステージの中ごろ総勢6人の親子連れが入っ

てきた。小学生の男の子に中学生位の女の子二人。あとは両親とどちらかの弟にみえる大

きな若い男。どこの家でもそうだろうが一番小さい子が先頭だったので、小学生の男の子

はステージが見えない一番奥の席になってしまった。家人が「坊やそこじゃ見えないでし

ょ。こっちにおいで」とこちらの席にすわらせたことからこの一家と会話が始まった。

いまどき3人の子供でもめずらしいので、「お子さんですか」と聞くと「ええ全部そうで

す、私達は表彰ものですよ」と小柄な奥さんが答えた。夫妻どちらかの弟と思っていたの

が高校生の長男だそうだ。「え〜ごりっぱ」とかいいながら話がはずむ。いつのまにか下

の子と親父さんが席を替わっているので「親はいつも末席ですか」とからかうと「ええ、

居場所がないんですよ」明るく笑う。

この夏にも似た経験をした。地元の焼肉屋にいたとき。40年配の男性が小学校5年生位

の女の子を頭に3歳くらいの子供まで5人を連れて合い席となった。初めのうちはお父さ

んが近所の子供でも連れてきたのかとみていたが、年長の女の子の世話のしかたが他人と

はすこしちがう。おそるおそる「全部お子さんですか」と聞くとあっさりと「そうです。

うるさくてすいません」の返事が返ってきた。うるさいなんてとんでもない。そこらの親

子連れよりよっぽど行儀がいい。長女がまとめる料理の注文から、出された料理の采配ま

であまりみごとなので、父子家庭だと悪いな、とおもいながら「奥さんは」ときくと「今

日は息抜き、同窓会ですよ」とさわやかな答えが返ってきた。

少子化、少子化とヒステリックに叫ばれている昨今だが、このふた家族をみていると現在

行われようとしている少子化対策に疑問がわいてくる。今、少子化対策に要求されている

ものは、全て金、金、金で、知恵は使わずに使用人の一人もいなければ子育てはできない。

と、自分達がイメージする子育てというファツションを求めているように聞こえる。

どちらの家族も特別裕福にはみえない。前者の家族は全員父親とおそろいのコートを着て

いたが、たとえユニクロの品であっても着る人が着るとイブの六本木でも見劣りしない。

奥さんの「年に一度ここに来るのが我が家の楽しみなんですよ」という言葉を聞くと、こ

れこそが「心豊かな家庭」なのだと……。ほのぼのとしたクリスマスプレゼントを貰った。


12/19/2005

お待たせしました! 論客シャンさんの第15弾。
今回は、疑問のタネはどこにでもある、って例文。

酩酊放談

習慣?サービス?品位?無駄?        

                      上 一朝(シャン カズトモ)

ハイヤー、社用車、公用車など運転手つきの車に乗ったことのある人はお分かりと思う。

乗るときはともかく降りるときに運転手がとんできてドアを開けてくれる。あれは遠く馬

車や自動車に庶民の縁がなかったときの名残ではないのか。当時の馬車は外からしか開閉

できず、助手席には文字どうり助手が乗っていてドアを開け閉めしてくれた。「車夫馬丁」

の言葉があるように、地位のある人は自分でドアを開けるようなことはしなかった。

助手のいない現在では、降りるとき運転手が車を半周してあたふたとドアを開けてくれる。

それはそれでいいのだが、問題は乗っているほうだ。

最近はかなりの地位の人でも自分でドアを開けて降りてしまう。それなら一声「ドアを開

けないでもよい」と声をかければよさそうに思うがどんなものだろう。それをいそいそと

自分でドアを開けて降りてくる姿を見るとなんとも貧乏たらしい。葬式かなにかで生まれ

てはじめてハイヤーに乗った人が、どうしてよいかわからずドアを開けてくれるのを待っ

ている姿のほうがよほどノーブルだ。

ハイヤー会社はサービスと言うだろう。しかし、乗るほうはお粗末になっているのに習慣

だけが残っている。自分でドアを開けるのを「運転手への心遣い」という人もいるだろう。

が、ハイヤーのサービスが習慣を守っている以上それに任せるのが乗るほうのマナーでは

ないのか。ハイヤーにステータスを求めるがマナーは守らない、というお粗末な客に対し

てはなんとも無駄なサービスに見える。

最近、某タクシー会社がサービスとしてこれを取り入れたそうだ。乗降に手助けの必要な

人はともかく、全ての客に行うというのはいかがなものか。大の大人を駈けずりまわらせ

ていい気持ちになり、有頂天になるバカを増やすだけだと思うけど…。


この滑稽な風景の原因は? 習慣、サービス、品位、無駄、これと思うものに○をつけて

ください。因習をひきずり大いなる無駄をする、というたわいのない話です。

某大会社のロビーで人待ちをしているとき、次から次へと出入りするハイヤーを見ていて、

フッと思ったことです。



12/12/2005
お待たせしました! 論客シャンさんの第14弾。
今回は、ペリー後の教訓を生かせよな、って警告。

酩酊放談

また、プッツンしないでね        

                      上 一朝(シャン カズトモ)

その日はトラブル含みで忙しく猫の館を出たり入ったりしていた。夕方ようやく全てがか

たづき、ガックリしていると「シャンさん一杯どう」こういう気配りはピカ一の猫の親方

が声をかけてきた。「千万忝い」と飲むほどに酔うほどに猫の親方を押し倒し、羽交い絞

めにしながら、前回の続きに書くつもりだった「民主主義」について、実に「非民主主義

的」な方法でしゃべり続けた。そうなるといちど話してしまったことは書く気がしない。

というわけで続きは無し。


12月8日は「今朝未明帝国陸海軍ハ……」真珠湾攻撃の日である。よってもって太平洋

戦争の開戦日となる。J.レノンの命日だけではない。そんな話を角の隠居としていた。

「あの時真珠湾で負けていたらどうなったろうね。こちらの手の内は筒抜けだったんだか

ら負けても不思議ないよね」と、角の隠居。

「もし負けていたら一次大戦のドイツのように莫大な賠償を求められ開戦前よりもっと貧

乏になったよ」

「でも、最後に負けた時ほど酷いことにはならなかったんじゃないかな」

「そうかもしれないけど、今ごろはアメリカにこき使われてヒーヒー言ってたよ」

「それでも、原爆もないし、いたましい犠牲が少なくて済んだからよかったかも…」角の

隠居は心がやさしい。


当時、GNPでは日本の12倍、石油の保有量は700倍、そんなアメリカとなぜ戦争を

始めたのか。

ひろさちや氏がおもしろいことを書いている。要旨を引かせてもらうと―。

―開戦の原因は忠臣蔵の浅野内匠頭とおなじで狂気である。ではなぜ狂ったか。ペリーの

やった砲艦外交への恐怖が深層心理にあり、アメリカはおっかない国であった。では、ハ

ルノートを受け入れて仏印から撤兵させたらどうなったか。アメリカは石油をくれただろ

う。しかし、それで日本を許すか。次には中国からの撤退を要求し、次から次へと圧力を

かけてくるに違いない。湾岸戦争後のイラクへのいじめ方を見ていれば想像がつく。結局

日本はアメリカに徹底的にやられるよりほかなかった―と推理する。だとすれば日本の敗

北は、あれはあれでよかったのだと思う。戦後の発展をみると、あの負け戦は上出来であ

った。と言いたくなる―。(ひろさちや著「歴史にはウラがある」おもろい本ですよ)


ひろさちや氏の狂気論、ちょっとうなずける。口喧嘩をしているうちに相手の怖さを勝手

に過大評価してしまい、恐怖のあまりプッツンして殴ってしまう。気がついたらボコボコ

にやられていた。なんてことありそうだもん。イラク派兵を含め、アメリカべったりだと、

そのうちに「こんなはずではなかったに…」とプッツンしないともかぎらない。

好きな相手を盲信せず、嫌いな相手でも邪険にせず、ご近所付き合いはほどほどに、かつ

冷静にしないと日本人は「深慮」に欠けているからあぶないよ〜。





12/5/2005

お待たせしました! 論客シャンさんの第13弾。
今回は、国民は“歓びの歌”歌ってる場合か?、って警鐘。

酩酊放談

O Freund, nicht diese Tone!       

                      上 一朝(シャン カズトモ)

12月の声を聞くと、巷には日本人の大好きなベートーベンの「第九」がながれる。

「おお友よ このような調べではない!」この後に、「もっと快い、もっと歓びに満ちた

調べを歌い出そうではないか」と続く。シラーの頌詩“歓喜に寄す”にベートーベン自ら

が加えた言葉であることは賢者諸侯ご存知の通り。

11月22日に行われた自民党立党50年記念党大会の模様を、新聞、テレビでご覧にな

った皆さんはどう思われたか。

合唱の換わりに83名の小泉チルドレンを配し、ソリストの位置に杉村太蔵先生。指揮は

もちろんマエストロ小泉。太蔵先生が立党50年宣言とやらを高々と謳い上げる。

曰、「立党以来50年、国民の負託に応え、常に主導的役割を果たし(略)新しい党の理

念に基づき諸改革を進め(略)道徳の高揚に努め(略)国際社会の一員として積極的に活

動する国家の実現を国民に約束する」んだそうです。なんですかこれ…。

ここで転調。

形だけ見れば完全にアメリカのコピー。市民を後ろに並べ大統領が演説をする。民主主義

国家アメリカならではのスタイル。一党独裁で50年の日本国。これはないだろう。

こう毒づくと、小泉首相のイエスマンを自認する武部番頭に「日本は民主主義国家である

から、我々は国民の負託に応えて政治を行っている。一党独裁なんていわないでいただき

たい!」と返り討ちにあう。確かに“ごもっとも”といえる。

しかし、日本は本当に民主主義国家なのだろうか。

敗戦後60年。占領軍とともに上陸してきた「民主主義」が太古の昔から民主という言葉

に縁のない国にそう簡単に根付くものなのか。敗戦後60年を振り返ってみると、保守合

同までの10年間は、アメリカによる民主主義のお勉強。その後の50年間は保革馴れ合

いのなかで、「政治家の政治家による政治家のための政治」が行われてきた。その間国民

はというと、モソモソと小声で文句をいいながら、お代官様のいいなりになってきた。

さすがに鈍い国民も、おかしい!と思いはじめたとき、先の選挙である。あの結果に民主

主義の怖さを感じた国民はどのくらいいるだろう。郵政民営化の看板の陰にかくされた数

々の重要課題。憲法改正、増税、年金、医療費etcこの全てを支持をしたことになるのが

民主主義である。武部番頭の言葉を借りれば選挙による「国民の負託」の結果なのだから。

センスのない国民が、形ばかり欧米の「民主主義」の真似をしても碌な政治ができるわけ

がない。このままでは労多くして実り少ない時代が来るのではないか。

そろそろ目覚めようではありませんか。

O Freund, nicht diese Politik!                                         

「おお友よ このような政治ではない!」

「もっと快い、もっと歓びに満ちた国を創り出そうではないか」

(字数恐怖症のシャンさんとしては、この項「続き」としたいけど「続く」かどうかは、

インシャ アッラー です)


11/28/2005

お待たせしました! 論客シャンさんの第12弾。
今回は、自身の身を持って証明した教訓。

酩酊放談

口は禍のもと       

                      上 一朝(シャン カズトモ)

11月21日は二の酉。「12年に一度の酉年の酉の市」なんて神社の宣伝に乗せられた

のではなく、町っ子の端くれとしては、商売のまねごとをしているからには熊手のひとつ

も飾っとかなきゃ。と、ン十年のあいだ欠かさずお参りをしている。

鳥居をくぐり左手に毎年変わらぬ石原慎太郎一家の売約済みの熊手をながめ参拝をすませ

たら社務所でかっこめを買い隣の妙見様でおみくじをひいてから露店で熊手を買って入谷

の街で一杯ひっかけて帰る。と一息では読むには大変な様が恒例になっている。

妙見様のおみくじというのは自分でひくのではなく、いかにも修行の権化と見受けられる

老僧が、経文を唱えながら八角形の筒を振り番号が書いてある竹の籤をひく。大声で番号

を告げると脇の僧が引き出しからおみくじを出して渡してくれる。という寸法だ。

今年はというと、十数年来おなじみの老僧の姿はなく、新米とみえる若い僧が二人。

「ああ若くっちゃご利益がねぇな」と悪態を吐きながら2〜3人の列に並んだ。型どおり

に進み、一寸言葉につまった僧が「七番」を告げると家人が「ラッキーセブンね」とうれ

しそうな声をだす。脇の僧が前の人よりおごそかにおみくじを取り出して、サッと渡して

くれたのをいそいそ見ると、『何事も思い通りにならず』のご託宣。『凶』でした。

これが仏罰というものか、と人並みに一瞬ドキッとはしたものの「あの坊主、悪口が聞こ

えたのかな。もともと日蓮さんとは相性が悪いんだし、うーん、口は禍のもとか」などと

ブツブツ言いながら型どおりにそばの紐に結えつけ、おみくじにバイバイ。

ン十年間で初めての『凶』。もっと気になるものかと思ったけど存外さっぱりしていた。

熊手も買ったし、それっとばかりに入谷の街にくりだす。入谷というところは普段縁がな

く、ガキのころ徘徊した記憶をたよりに路地路地を廻り美味い店を探すのが毎回の楽しみ。

今年は新しくできた上海料理屋に入った。メニューを見ながら、厄落しに少し贅沢をして

(けっこう気にしている)、と胸の内に納めて「蒸し魚をたのもうか」といったら家人に

「もったいないからやめましょう」あっさりと却下されてしまった。


今回は、らちもない話でお茶を濁そうと思いながら新聞を見ていると、世間を騒がせてい

るインチキマンションの記事が目についた。少しばかり建設業界を知っている身としては

事件の内容には驚かないが、あの件数では解決に大変な時間と労力がかかるだろう。

新聞によると、事件発覚後すぐに、分譲が主のHy社は全棟建て替えます。賃貸が主のS

社は移転にかかわる費用は全額負担します。とのコメントをだし、ことの重大性のわりに

は世間を安堵させた。ところが、二日と経たないうちに、Hy社は補修で済むものは建て

替えない。S社は最大25万円の補償と言ったが被害者につめよられ30万円と言い直し

た。このようなトラブルは、初めに最大の誠意を示しておくと交渉過程で少しのマイナス

が生じても被害者は譲歩するものである。しかし今回は、「自分達は嘘つきです」と宣言

してしまったようなもので、この補償交渉は泥沼に入るのではないか。

昔から「千三つ」などといわれ、あまり信用されない人達がいる。口入や、女衒、仲人、

不動産や等々。(ネットで遊ぶ人は「千零」と思われ、埒の外なので心配無用。)

真面目なデベロッパーが、ようやく不動産業界に信用というものを確立しはじめたのに、

これでは元の木阿弥である。

彼らの思慮に欠けた発言は業界の信用をなくし、自分達をも窮地に陥れてしまった。

まさに「口は禍のもと」。



11/21/2005
お待たせしました! 論客シャンさんの第11弾。
今回は、教育って何のためにあるのか、って疑問。

酩酊放談

親がおや なら 孫もまご       

                      上 一朝(シャン カズトモ)

先日のこと。紀宮の結婚式のニュースをみていると、沿道のオバサン達が「みた!みた!

見えた!」と口々にテレビカメラに向かってワメイテいる。いずれも60歳を超えたオバ

サン達である。昔なら「はしたない」と、周りを諌める歳なのに。

これにくらべ、天皇の挨拶「清子の新しい門出を見立ててくださり…」の違いよう。

「見立てて」なんて日本語知ってます?魚屋で安いサンマを見立てるんじゃないんだよ。

別に皇室を崇めろなんていう事ではなく、礼儀というものがないのかね。


地下鉄有楽町線は3時から4時の間は空いている。

ちょうどその頃、いつもどおり空いた電車がホームに入ってきた。降りる人もなく空いて

いる席の前に立ち、向きを変えて座ろうとしたとき、二人のオバサンがこちらに向かって

脱兎のごとく走ってきた。

何事!と訝ったが、どうやらお連れさんの隣の席が空いたので遠くから飛んできたようだ。

「スミマセン」でもなく人の顔をニヤニヤ眺めている。「子供じゃあるまいし」と思わず

咽喉元まで声が出かかったが、どうせ部屋へ帰れば猫の親方にこの話をする。そうすると

親方に「シャンさん、あんたはどうしてそう意地悪なんだ。いつも言ってるじゃない、人

には優しくしなきゃ」と言われるのも癪だし、オバサン達がフクレッツラをしないでバツ

が悪そうに向かいの席に座ったので怒鳴るのをやめた。5〜6人連れのオバサン達はとい

うと、こちらを睨むでもなく、何事もなかったように大きな声で笑いながら通路をはさん

で飴やお菓子をやったりとったり、いずれも孫がいようという年頃でした。

もうひとつ。有楽町線には魔の時間がある。GとFのイニシアルに代表される、沿線にい

くつかある坊ちゃん嬢ちゃん製造名門校の下校時である。そこの生徒達は猿より酷い、と

いったら猿が怒るくらいに傍若無人に騒ぎまわる。そうでない子は百歳の老婆の顔をして、

五十歳のオバサンのパワーで座席の隙間に割り込んできて居眠りをする。まあ、子供はい

いとしても問題は付き添っている母親の態度である。すっかりめかしこんで自分たちの話

に夢中になっている。たまには「静かにしなさい」くらいのことは言うが静止にはなって

ない。よく見れば、電車の中で駆けっこをするオバサン達の娘の年頃である。

どれほど学校の教育内容がよくても、一歩校門を出たらこの様では、いったいなんのつも

りで子供達に辛い思いをさせてまで遠い学校に通わせているのか。こういう手合いのカー

チャン達の大半が大学出だから、なお始末にわるい。

いつの頃から日本語でいう行儀、礼儀。外来語では“manner”というものが無くな

ってしまったのか。

これらの悲しむべき事態についての要因は、先週の「きょうの主張」に書かれている。

が、原因は説かれていない。原因については、また、街中で腹をたてたら書くかなあ…。


過去の発言

2002〜2005/11/14



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