9/17のしゅちょう 文は田島薫
(戦争を止める方法、について 123)
先日、トランプ大統領候補がゴルフしてるとこに、フェンス
から銃をかまえて暗殺しようとしたらしい男が捕まった。
ウクライナへの軍事支援をやめて停戦を主張してるトランプ
氏に反対してる男のようで、どうも、民主党のウクライナ支
援方針に賛成して、侵略者ロシアとの戦いを続けることが正
義だと妄信したらしい。
民主党が民主主義を守る立場を強調してるのを聞く大衆が、
それはその通り大事なことだ、って感じるのはおかしいこと
ではないんだけど、そこの言葉を使えばすべてその通りに正
義を行使してることになるわけではないことに人々は気づく
べきなのだ。
侵略者プ−チン大統領のロシア軍は悪で、祖国を守るべく戦
うゼレンスキー大統領のウクライナ軍は勇敢な正義の側、だ
から正義の軍隊の方に軍事支援して勝利を目指すのが当然の
やるべきこと、って単純に考えて世界が平和になれば世話は
ないのだけど、正義は、けっきょく相対的概念なのであって、
これが絶対の正義なのだ、ってものはないのだ。
もし、それでも万人が納得するそれを言ったとすれば、統べ
ての人々の命を尊重することだ、とは言えるだろう。
そうだとすると、ゼレンスキー大統領がウクライナの人々の
命を尊重してるか、と言えば、男たちには殺しあいに参加す
ることを強制し、ロシア軍の攻撃で兵士も民間人も多くが殺
され、それを怖れた男以外の国民の多くは避難民として国外
へ逃げ、いつ果てるともない不安の中で毎日を送っているこ
とが、命の尊重になるのだろうか。
ウクライナの立場で見れば、ウクライナ人の命を尊重するの
は国を奪われそうな時にそれを守ることによって、ウクライ
ナ人の誇りを保つのは命の尊重以上のもんだ、って言う者も
いるかもしれないんだけど、家族のだれかが戦争で死んだり
片足を失ったりした者が素直にそう思えるかどうか。
ロシアの人々の側からすれば、ウクライナの人々と同様の思
いがあるはずで、戦争を始めたのはリ−ダ−同士なのであっ
て、人々の正義と悪は後付け理屈なのであって、そこの行き
違いを調整するのが和平交渉なのだ。
戻る