12/9のしゅちょう 文は田島薫
(戦争を止める方法、について 135)
イランやロシアからの支援が、ウクライナやイスラエルとの
戦争の方に偏ったためにシリアは、反政府勢力の攻勢によっ
て2〜3日前、アサド大統領は逃亡し政権が倒された。
民主化勢力への弾圧で非人道的圧政の独裁を続けたアサド政
権も大国からの支援があってそれを続けることができただけ
なのだから、軍事支援の影響は大きいのだ。
それに対し米国も一時シリア攻撃をしそうになったこともあ
ったのだが、そうなったらイラク戦争のようなことになり、
犠牲者が拡大したかもしれないわけで、反政府勢力と支援さ
れる政府軍との紛争をほっておくのも問題だけども、とにか
戦争は犠牲ばかり出るもんなのだから、どんな不合理が出た
としても一気に強い方が仕切って終了になるのが、とりあえ
ず国民にとってはいいとも言えるのだ。
もちろん不合理不公平は後々、国民の不満を残すわけだから、
それが起こらない形で終結するのが一番いいわけで、そのた
めには争う双方がお互いに主張を出し合い、話し合いで調停
することが必要なのは当たり前すぎることだろう。
その当たり前すぎることがなかなかできないのは、双方のリ
ーダーが自国または自分個人の価値観都合を実現しようとし
て相手の都合にはあまり注意を払わないせいなのだ。
どうしても、自分の主張を認めないならどうしよう、とリー
ダーが考えた時、じゃ、いい、丁度いい具合に相手より勝っ
てる軍備が自分の方にあるから、ちょっと脅かして、相手を
従わせよう、って考えるのだ多分。
ところが、軍事威嚇された方は、祖国を守るのは尊いことだ、
だからそれにちょっと反撃を加えて、相手を思いとどまらせ
よう、と考えるのだ多分。
ところがさらに、お互いが、相手の脅しに屈するのは恥じだ、
って感じて、それなら少し痛い目に合わせる必要がある、何
日間かで決着がつくだろう、って双方が考える。
ところがなかなか決着はつかず、1週間の予定が1年2年と続
き、兵士や民間人が毎日死んで行くんだけど、リーダーは、
どっかで自分の命じゃない他人の命に無頓着になる。
こういった事態は馬鹿げたことだ、って感じないでなにか崇
高な意義のようなものをでっち上げる連中の言うことをわれ
われは断固拒否するのがいいのだ。
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