●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は、もどきさん、いつも義姉さんのことを想ってるようです。



萩の花


近所にある夏だけの公園プールも終わった。

あの賑やかな歓声が嘘のように静まり返り、プールの柵が開けられ、再び

散歩道として人々が行き交っている。

プールを囲む木立が一段と高くなったようだ。

木立の下には小さな花をつけた萩が生い茂っていて風にさわさわと揺れて

いる。

秋だなあ、としみじみ思う。

萩は秋の七草の最初に出てくる植物なのに、今まで私はこの地味な小さな

花に特別注意を払わなかった。むしろススキに秋を感じ、線路わきのスス

キを見つけると、手折ったりして、秋の名月に供えたりしたものだ。

今、私はこのプール脇を通るたび、萩の群生に目を止めてしまう。

華奢な枝は、小さな赤紫色の花と小さな丸みを帯びた葉をつけ、それらの

重みで弧を描いでたわんでいる。

すべてが小ぶりで調和をとりながらも大きな株となっている様は、秋の象

徴としての存在となって目を引くのだ。

今、私は義姉の後始末に追われている。

義姉の住んでいたマンションには生々しく生活感が残っていて、そんな他

人の部屋を片付けるのは心が痛み、なかなかはかどらない。

なにしろ、義姉は7月までは元気にその部屋で一人暮らしをしていたのだ

から、突然見知らぬ高齢者施設に入るとは思っても見なかっただろう。

義姉は華やかな夏のひまわりのような人だった。

いつも太陽を見つめ、その日差しの中で輝いていた。

そして今、大勢の人に囲まれ、集団生活を送る日々となった。

まるで萩のように小さきもの、か弱きものが集まってすべてを調和させて

いく施設での生活。だが、力強く生命力あふれる集団。

私は義姉に萩の花の境地に早く目覚めてほしいと願うばかりである。


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