5/2のしゅちょう
            文は田島薫

(生娘シャブ漬け戦略発言、について)


上品と下品と言えば、上品なら丁寧なことば使い、下品なら乱暴な言葉使い、

ってイメージがあると思うけど、それは表面上のことであって、重要なのは、

その言葉を投げられた方への言葉使いに含まれる、「思いやり」の繊細さの

方にあるはずで、そう考えると本当の上品、ってものはただ言葉の印象に飲

まれただけだとわからない、ってことになる。

先日、牛丼屋チェーンの幹部が学生たちに講演した時、「いなかから出て来

たばかりの生娘を牛丼中毒にさせる(生娘シャブ漬け戦略)って。都会に染

まって男に高いメシをおごってもらうようになった娘は牛丼は絶対食わなく

なるから」ってような表現をして、女性団体他いろんな方面から非難を受け

て、マスコミにも批判的に報道され、役職を下されたんだけど、私にはそれ

ほど批判されなくてはならない表現には思えないんだけど、どうなんだ。

批判する方は女性団体からは、なにも知らない生娘ってふうに若い女性は主

体的にじぶんの頭で考えての判断をなにもできない、って女性を上から目線

で馬鹿にしてる、って言うし、マスコミの方はそれに加えて、じぶんたちで

作ってる食品に対するプライドもない、ってようなことを言ったりで、とん

でもない暴言を吐く女性差別の非常識男、ってことに断罪してる。

ところが、その発言の真意をよく噛み締めてみれば、全く発言の趣旨は逆な

のだ、ってわかる人にはわかるはずなのだ。

まず、批判する人間は、その言葉の乱暴さに、下品で、思いやりも欠いてる、

って決めつけてしまったのだけど、確かに言葉使いは乱暴かもしれないんだ

けど、裏に優しさのようなもがきちんとあれば、それは許されていいのでは

ないのか、って思うのだ。

じゃ、その優しさ、はどこにあるんだ?って言うと、なにも知らない生娘、

って表現は馬鹿にしてる、って取るよりも、都会の経済優先で見栄の張り合

いやってるような環境(もちろんすべての人間のことではないけど)の中で

じぶんで感じる物の価値観が揺れて行ってしまう前の純粋で正直な感性や味

覚で、安くて美味しいものをしっかり納得してもらってその判断を不動のも

のにしてもらいたい、ってことなのだ。

現実には、いいわるい、ってことではなく、若い男女のデートで行くレスト

ランなどは男が少し背伸びして高級そうな所を選び勝ちで、牛丼屋に行く男

女はあまりいない、って現実を問題にしてるんであって、牛丼がひどい食い

物だ、って当の講演者が言ってるはずはないのだ。逆に、牛丼はすごく旨い

のに、安い、という普段では売りになる条件がそういったデートなどの場面

ではデメリットになるし、ひとりの時も牛丼屋に入りにくく感じる女性も多

いようだから、何とかしたい、ってことが講演のテーマだったので、ジョー

クのつもりであえて乱暴な表現をしたはずなのに、その言葉の表面的印象を

とらえてすぐにみんなで下品と非難するようなことを続けたら表現の自由さ

や豊かさが細って来るんではないのか、って私は思うんだけど。




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