2/28のしゅちょう 文は田島薫
(絶対悪、について)
世の中に絶対、てことはない、ってよく言われるんで、絶対悪、ってことも
ない、ってことになるんだろうけど、それが示す意味は、世の中の物事は様
々な要素が複雑に関係しあっているから、ある環境の中で正しいと思われて
ることが別の環境ではそうではない、ってこともあり、同様に悪いと思われ
てることが別な環境ではそうではない、とこともありうるわけだから、って
ことになるんだろうけど、とりあえず、人間の都合という条件をつけた場合
の共通する絶対悪は「殺人」ってことになるはずで、それの究極「戦争」、
ってことにもなる。
それがそうじゃない、って言う者がいたとしたら、その人はなんらかの正義
をかざして殺す側の立場になろうとする者で、逆の立場になって、自分が罰
せられる立場になる可能性についての想像力が欠如してるのだ。
あらゆる集団が自分の方の都合や思い込みで正義をかざし、それと違ってる
者たちを邪悪なものと決めつけてたら、殺人や戦争は絶えまないことになり、
平和共存、ってことが永遠に無理になるだろう。
もし、自分や自分の家族や友人たちが平和に長生きすることを望むなら、自
分と違う考えの集団の存在を否定して消し去ろうと考えることは絶対悪、っ
てことになるのだ。
そんなこと言ったら、歴史上で専制王制を打倒する革命のようなことができ
なくなるだろう、って言う者もいるだろうけど、革命に必ず戦闘が必要なわ
けではなくて、日本の大政奉還やベルリンの壁崩壊、といった無血革命の方
が今日的な共感を得る方法なのだ。
今、欧米側から独裁政権と批判されてる北朝鮮の金正恩さんや米国に壊滅さ
せられたイラクのサダム・フセインさんや中国の習近平さんやロシアのプ−
チンさん、だってそれぞれ国民や他国民を虐待しようと思ってるわけではな
くて少なくとも自国の平和と自国民の生活向上を目指してるわけで、それを
邪魔する反政府武装勢力やそのおそれを感じる集団の取り締まりが行き過ぎ
たりしてただけなのだ。欧米側のメディア環境にさらされているわれわれは
そういった国々を批判的に見てしまう傾向が強いのだけど、欧米側だって、
相手側から見たら邪悪な国々に見えるし批判もされてるわけなのだから、双
方がお互いもっと尊敬を持った外交に精を出すべきなのだ。
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