2/14のしゅちょう
            文は田島薫

(過剰な儀礼の不毛、について)


昔のわが国の冠婚葬祭などはほとんど身内か近所の人々だけで協力しあって

質素だけどしみじみとした儀式をした庶民が多かったようなんだけど、今日

では国民の多くが朝から晩まで忙しいとみえて、業者に金を払ってお膳立て

を任せてやる形ばっかりになり、業者の方も商売なもんでいろいろな仕掛け

を考えてはできるだけ多額の料金を請求しようと考えるわけで、松竹梅のラ

ンクがありますがどれにしますか?などと聞かれた客の方は、金に余裕があ

る者や余裕がなくても見栄張りたい者は一番高い松にしてくれ、って言うし、

梅がいいんだけど、ケチと思われたくない者は、竹でよろしく、って言って、

竹でもきついんだけど、ご祝儀が来るからそれでつじつま合わせられるだろ

う、ってようなことをくり返してるうちに、デラックス化もエスカレートし、

参加する方の祝儀などの相場もエスカレート。

所得の2極化で高い方の層はさほど気にしなかったり、そうじゃない層もそ

ういうもんだから貯金しても盛大な集まりを楽しみたい、って者もいるよう

だけど、大半は、結婚式などの招待には出費の傷みを感じてるはずなのだ。

私は、若い頃から金のない層を持続してたこともあってそういった儀礼に疑

問を感じてたもんで、葬式には出るけど結婚式に出たのは妹の1回だけで、

親戚からの招待さえも断ってたんで、関係者〈?〉の間ではケチで変人、っ

てことになってるかもしれない。

それでも世話になった人の葬儀などで経済的に苦しそうな未亡人でもいて、

業者に流れて行かないで丸々当人の懷を温めることができる金なら私は喜ん

で渡したい気持はいつでもあるし、式もできないし業者も間にいない貧しい

若い友人の結婚があったなら喜んで有り金を渡したい気持もある。そういっ

ただれでもが持ってるような気持を生かすような、金がない者同士でも、当

人たちに喜んでもらえることを周囲が素朴にやってた昔の形にできるだけ戻

すのがいいんじゃないのかと思う。

それでも、先述の所得の2極化がより著しくなったこともあってか、CMなど

見ると葬式なども家族だけでやるようなものが増えてるようだけど、本当は

ずっと以前から私と同じ疑問を持った者は多くいて、オイオイ、なんでこん

なたいしたつきあいじゃないやつの結婚式出て食いたくもない冷えた料理や

後で処分に困るような新郎新婦の名前入りの悪趣味な皿に万札を何枚も払わ

なけりゃならないんだ、ってグチを心の内に閉じ込めて義理で参加する者や、

じぶんの式などは元からやらなかった者も大勢いたのだから、私が今こんな

ことを言っても、そんなことは分かり切ったことだ、って思われるのがオチ

なんだろう。分かり切ってても、それを口にすると、ケチなやろーだ、って

思われるのがみんなやなのだ多分。

そういうわけで、だれが私をケチなやろーだ、って言ったとしても、ケチで

けっこー、おかしーことはおかしー、って言ってるだけなのだ。




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