12/26のしゅちょう
            文は田島薫

(戦争を止める方法、について 34)


ゼレンスキー大統領は先日、米国へ行きバイデン大統領にウクライナへの

より一層の軍事支援をしてくれ、って要求をし、これはウクライナにとっ

てだけの問題ではなくて、民主主義がここで守れるかどうかのすべての民

主主義国家の存亡にかかわる戦いなのだ、って言って、バイデン大統領も

それに賛同し、ウクライナの勝利までの支援を約束したんだけど、一方、

プ−チン大統領の方は、ロシアの軍事侵攻は、ネオナチであるウクライナ

政権から虐待を受けている親ロシア派住民の命を救うためだったのだ、っ

て言い、ロシアの勝利を信じている、って言ってる。

双方が勝利を信じて、軍事物資の限りを尽くして戦争を継続する、って言

ってるわけで、世界の他の国々はそれを放置してていいんだろうか?

祖国を守る、って息巻いてるゼレンスキー大統領の命令下、数百万の人々

は国外へ難民として逃れ、成人男子は全員戦争参加を義務づけられて、多

くが戦死したり大ケガしたり、戦争参加していない国内に留まる住民の多

くも死んだりケガしたりしてるのに、そういった状況を国の大統領はまだ

まだ続けるつもりだ民主主義のために、って言ってるのだ。

祖国とか民主主義は国民の命よりも大事なものだ、ってことなんだろうか。

祖国、ってもんはそこで生活して生きてる人々がいてこそ意味を持つので

あって、破壊と殺人が横行する場所でとても安心して生活はできず、来る

日も来る日も常に自分の命の危険を感じながら、身内や知人の死に立ち会

い、次に死ぬのは自分かも知れないって覚悟しながら留まるか、国外へ逃

げるかの選択しかないのが、大統領が守ってる、って言う祖国であり、民

主主義なんだろうか。

祖国とか、民衆主義とかは、ただの言葉であり、一番優先されるべき国民

の命、ってことが忘れられてるか、無視されてるか、軽るんじられてる、

って言わざるおえないのだ。

戦争は、どんな正当性を言葉にしようと、人々を不幸にするものなのだか

ら、それを美化するキャッチフレーズにはだまされないようにした方がい

いのだし、戦争をしたくない人間にまでそれを強いるのは、民主主義とは

いえないのだから、ゼレンスキー大統領の演説に無批判に賛同したり支援

するよりも、ロシア、ウクライナ双方の主張を、米国や日本といった国は

よく拝聴して調停に勤め一刻も早く戦争を終わらせるべきなのだ。




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