映画だ〜い好き        文は福原まゆみ


尾形映画プロデューサーの友人が仕切る映画制作会社で働く映画好き女史が
エッセーを連載してくれてます。
映画女史、多分友人の十分条件について考えたはず。




【映画なんてど〜でもいい友人の話】


親しい同世代の友人なのに、私が映画関係の仕事をしているという事を全くわかって

いない人がいる。「東京国際映画祭で働いている」と毎年10年間も言い続けているの

に、人に紹介される時は、「この人は東京音楽祭で働いていて…」となる。毎回訂正

するのだが、何度言ってもいつも必ず私は音楽祭で働いている事に。その友人は特別

音楽好きなわけではなく、音楽と言う言葉が口から出易かっただけのことだ。「まっ

たく…こんな簡単なことが覚えられないなんて、脳ミソ大丈夫かぁ?」と、自分の事

を棚に上げて思ったりする。でも、うちの親も似た様なものだったなぁ。


結局のところ友人にとって、私が何をやっていようがどーでも良いのだ。Doing より

Being を大切に思ってくれていると解釈すれば、これはこれで有難い。たとえ私が映

画を作れなくなっても、変わらず友だちでいてくれるのだろう。かく言う私だって、

友人の仕事の内容なんて殆ど知らないのだし。友よ、ゴメン。


話を戻そう。友人の発言をいちいち否定するのが面倒になり、音楽祭で働いているこ

とにしたことがあった。すると「音楽の何をされているんですか?」と質問が続く。

「デジタルツールを使って…心に思い描くことを…表現しています」とかなんとか答

える。以下はその時の会話だ。

「歌うんですか?」

「私は歌いませんが、プロにお任せします」

「じゃあ作曲とか?」

「う〜ん、今後の課題ですね、それは」

「そうですか、じゃあいつか聴かせてください」

「ええ、まぁ…」

「私、映画を作っているんで、音楽作る人に興味あるんで」

なんと! それなら始めから私も音楽ではなく映画だと言えばよかった。


それにしても、紹介してくれた友人にとっては、私と同様にその人が何をやっている

かなんてこと、ど〜でも良いのだろう。


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