思いつくまま、気の向くまま
  

文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、時空を超えてその気分が蘇ったようです。




二部授業




ココ通の5月3日号を見たとたん、おおきな失敗をした時の照れくささと変な

高揚感にくわえ、親しい人たちから理由も聞かされずに仲間外れにされた戸惑

いと寂しさが同時におそってきた。


昭和23,4年の小学校の低学年は二部授業であった。戦災で校舎を失ったと

ころに疎開先から人が戻ってきたりして教室が足りなかった。

授業は午前と午後にクラス単位で別れ午前のクラスは授業が終わると給食を食

べて帰る。午後のクラスは昼頃登校したら給食を食べてから授業がはじまる。

おおよそこんな感じだったと思うがなんせ半世紀以上も昔のはなしである。


学校が半日しかなく毎日が土曜日みたいでよかったね、なんていうなかれ。こ

の二部授業というのが、なかなかの曲者である。一部、二部の時間割を間違え

て母親に「学校は」なんて言われても「今日は昼から」とのんきに遊びほけ、

そろそろ教室が空いたかなと学校に向かうとむこうから友達がにぎやかに帰っ

てくるではないか。顔から血の気が引く、時間割をまちがえたのである。さん

ざん友達に冷やかされて給食のコッペパンを渡されたときの照れくささと恥ず

かしさ。そう、4日にココ通を見たときこの時のショックがよみがえった。


4月の末、田島主幹から「来週は連休だけどココ通は更新するよ。書きたくな

かったら書かなくてもいいから」と連絡があった。書かなくてもよければ休ま

ぬ手はない。それに皆さんも休むだろう、と安心してさぼった。ところがどう

だ。ふだんなにかと言えば休む人まで加わって小生以外全員が更新しているで

はないか。みんな暇なんだなーとひとり強がりをつぶやきながら、給食のコッ

ペパンを受け取ったときの照れくささをなつかしく思い出した。


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