3/15のしゅちょう
            文は田島薫

(苦手な人、について)


だれにでも人間関係で苦手に感じる人、っていると思うんだけど、私のそれが

どういう人か、っていうと、私に対してことごとく批判的な人、ってことにな

りそうで、かつては私の父親がそうで、顔を合わせれば説教がはじまり、私の

反論を許さなかったからで。とはいうものの家族だし、露骨に嫌う、ってこと

でもなく、若い時はめげずに反論し続けて常時怒りを買ってたんだけど、父親

の言うことにも一理あって、だんだん、私がわざわざ反論することの無意味さ

も感じるようになり、意見として受け入れようという気分に変わって来た。

こういった相手が、長くつき合ってる家族じゃなく、ただの他人だとすると、

できれば、あまりつき合わないようにしたい、って感じるんだけど、それでも

私は、かつてそんな相手と長時間議論することも厭わなかったのは、自分が納

得しないまま話を切り上げるのが大嫌いだったせいなのだ。

とは言うものの、年を重ねてくると、さすがに、お互いに自己主張のみのよう

な議論の不毛さにやっと気づくようにもなり、てきとうな合意点を探したり、

とりあえず意見が違うことをそのまま認める、って習慣もついて来た。

けっきょく、相手が自分に批判的だとして、それに反論することは、相手から

見れば、私が相手に批判的、ってことになるわけで、お互い様なのだ。

そう考えると、常に自分の意見を主張する私に対しても、苦手な人だ、って思

う人々がけっこういたはず、ってことにもなりそうで。

人は若い時ほど、自分の意見が理にかなってる、って信じやすいようで、それ

に反対の意見を言う者には反感を感じやすくなってたのだろう私も。

だいたい、複数の人間がいたら、それぞれ感じ方や考え方は違ってあたりまえ

なのだから、それぞれの立場でのそれに聞き耳をたてる努力は必要なのだ。

それでも、一方的に自分の意見や感想を言って、相手の反論を一切受け付けな

いとしたら、その人は、自分の方が認識も立場も上で、相手の意見は聞く価値

がない、と考えてる、いわばボケ老人と同様な存在なのだ、って思えば、対処

の仕方も出てくるはずだ。

そういえば、私がなにか主張した時に、妙にやさしい反応してくれる人は、私

をそう感じてるのかもしれないのだから、油断はしないことにしよう。


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