2/15のしゅちょう 文は田島薫
(のうてんきの効用、について)
のうてんき、って言って、ここでもそんな政治家たちなんかについて批判的
なことをよく書いたりしてるんだけど、そんな場合ののうてんき者について
批判するのは、のうてんきに自分の利益のことだけ考えてて、巷で悲惨な思
いしてる人々のことを本気で考えてないようだからなのだ。
(以下に夏目漱石の「二百十日」のネタバレありこれから読む方はご注意を)
のうてんきでも、例えば、夏目漱石の「二百十日」の豆腐屋の息子は体力だ
けあってのうてんき者に見えるんだけど、体力のないインテリ風の友人と阿
蘇山へ登るのに、阿蘇は噴煙が出てて地鳴りをしてるは、風雨になるは、長
い草の生えた道なき道だはの中、足じゅう血豆つくった友人の引き返そう、
って訴えにも応じずに元気よく進み、そのうち谷に落ちて、日も暮かかって
命の危機をなんとか、友人をけしかけて逃れた後の翌日も、自分の生爪がは
がれたりもしてる中、友人の悲観的言動や退却の主張にも動じず、軽口でい
なしながら、まだまだ登る気満々でそれを主張、結局友人もその熱意に負け
て同行することになる気配に。
その豆腐屋の息子が、ただののうてんきの命知らずだったら、友人は同行は
しないとこなのに、なぜ感化されたか、って言うと、豆腐屋息子は、世の中
の不平等に疑問を持ってて、金持ちたちのずるさを批判して、それを正して
行こう、って意志を示してるからなのだ。
ただ世の中の矛盾を嘆いて批判したり嘆くことはだれでもよくやってること
で、インテリほど自分の行動ぬきでそれをするのに、この豆腐屋は行動力を
全身で証明してて説得力があり感化力があるのだ。
何か理想を持って、それを実現しようとするには、理屈ばかりこねたり、そ
れを阻む障害について並べ立てて悲観したりしててはいつまでたっても、実
現は不可能なわけで、欠陥がある企画でも、とりあえずやってみるのがいい
わけで、そこで失敗しても、すぐにめげたりしないで、失敗はそれこそ成功
のために必要なこと、ってぐらいにとらえてぐんぐん進む、ってこれができ
たら、それこそ人生の理想の形だろう、…って言うだけなら簡単で。