12/6のしゅちょう
            文は田島薫

(贈り物の難しさ、について)


だれかに何か贈り物をして相手に喜んでもらうのが好き、って人はけっこう

世の中にたくさんいるだろうし、そんなことは嫌いだ、って人は少ないだろ

うと思うんだけど、私の経験上、いつも贈る方の期待通りの反応をもらえる

とは限らないんで、私はそういうことに慎重な方だ。もっとも、あんまりそ

れをしたくないのは私がケチのせいもあるんだけど、相手が心から望んでい

るのにそれが手に入れられなくて、私の方がそれを手に入れる手段を持って

てさほど経済的負担がこちらにかからないものなら(ここがけっこう重要)、

喜んで贈り物をしたい気持はいつもあるんだけど。

私の経験で言うと、中学生ぐらいの時、親に小さなプレイヤーを買ってもら

い、小づかいをためては好きな西部劇映画音楽のシングル盤レコードを集め

てた時、わが家に遊びに来た親戚の女性がスタンダードジャズコーラスとオ

ペラのミニLPをお土産にくれたんだけど、私はちっともうれしくなくて、こ

ういうんじゃないやつが欲しかった、などと余計なことを言って不満そうな

顔をしたのを、後にずっと、あん時は悪かったな〜、ってよく思い返すこと

があり、彼女にとっても私にとっても、贈り物が招いた小さな不幸だった。

私が贈った若い頃の例では、仕事で知り合った人が結核療養所に入った、っ

て聞き、自分がその時好きだった東君平の素朴な絵と文章の絵本をお土産に

持って行ったところ、反応が鈍く、暗に、じぶんは安野光雅の緻密な絵本が

好きなのだ、って言われて、あ〜、なるほど、人は私と同じ好みとは限らな

いんだな、って当たり前のことに気づいたのだった。

こういった贈った側を不快な気分にさせてはいけない、ってことで、世間一

般には、どんないらないと感じるものをもらっても、けっこうなものをあり

がとうございます、などと社交辞令することになるんで、できるだけそうい

うハメにならないように、私はふだんから、できるだけじぶんの好きなもの

と嫌いなものを公言するようにしているし、相手が本当に好きなものか確信

が持てないものは贈らないようにしている。もっとも人にものを贈ることを

ふだんちっとも考えたことはないし、たいてい、どっかから家人がお礼を言

って受け取ったりした欲しくないものをだれかに、これ欲しいか聞いてから

もらってもらう、って形が多い。

先日の例では、毎年、高級ホテルのスープなどを贈ってくる家人の友人がい

て、そういったものをほとんど食わなくて、豆腐や納豆や大衆魚などの安物

の和食の方が好きな私は、家人にそれの消費をまかせるんだけど、家人もふ

だんの食習慣から外れるものはさほど気が進まない模様、のところへ今度は、

わが家では絶対に食わないハムとソーセージとベーコン詰め合わせが来た。

わが家ではそれらに入ってる添加物が受け入れられないのだけど、じぶんが

毒だと感じてるものをだれかに上げるのも気が引けるし、さて困った。


戻る