11/29のしゅちょう
            文は田島薫

(抽象化の力、について)


われわれは日常生活を送ってて五感で受けるものがマンネリに感じてくる場

合は、多分、くり返される刺激に既知感を持った感性が省力反応するためな

んだろうから、いつも新鮮な感動をして生活したいのだったら、なるべく変

化のある行動をするのがよくて、一番手っ取り早いのが旅行、ってことにな

るのかもしれないんだけど、これも、似たような観光地巡りばかりやってた

ら飽きたり、どこもかしこもごっちゃな感想になったりもする。

それより、世界中のだれかが書いた本を読むのが、尽きぬ楽しみになる、っ

て言うのは読書家のほぼだれもが死ぬまで読み続ける、って事実から言える

んじゃないかと思う。

とは、言っても、いつも同じジャンルの大衆小説のようなものを読んでると

やっぱりマンネリ感が出てくることもあるだろうし、旅行だって、何かじぶ

んが追求するテーマを持って常になにか発見する感覚を持続できたらマンネ

リで退屈することもないかもしれない。

そう考えると、一番大事なのはなにをするにも、次々新しい発見をするよう

なじぶんの興味のあるテーマを追求する意識があることなんだろう。

旅行や読書の他にも、一般に趣味と言われるものはなんでもその対象になり

うるわけで、なにか研究し続けてる学者なんかに、専門の一部についてわれ

われが素朴な質問をした時に、長々と説明してくれる時の当人のうれしそう

な顔はそれを伝えてくれてる。

音楽家でも画家でも詩人でも、その仕事を愛してじぶんで日々表現を追求し

てる者はみなイキイキしてるし元気で長生きしそうだけど、いい作品を作り

ながら病気で早死にしちゃう芸術家もけっこういるんで、一概にみんな楽し

そうだ、とは言えないのは、多分、生活の糧を稼ぐ、ってことと芸術表現に

没頭する、ってことの共存が、その才能だけじゃなくて人間関係やチャンス

にも恵まれた一部の者以外には難しい現実のせいだろう。

楽しいと言えないどっちかと言えば辛い思いの中で創作活動を続ける芸術家

は体にわるいからやめて真っ当な仕事をした方がいい、って言われてもそっ

ちへ行かないのは、その創作活動に感性の充実を感じているからで、たとえ

早死にしたとしても、毎日感性を省力して生活して長生きした者より、人生

のクオリティが高いかもしれないのだ(もちろん、すべての芸術家がクオリ

ティ高く長生きできる方が国の文化発展のためにもいいんで支援や社会保障

制度の充実を高給取りの国会議員に期待したいところだけど)。

で、芸術に限らず生活の場で新鮮な感性の発見を持続させる力はなにか、っ

て言うと、私は抽象化の力だと思うわけで、それは自然全体をただ全身で感

じてそのまま写実のように絵や音や言葉で再現するんでなくて、それのどこ

に感動したのかを適格に抜き出す力が必要で、言葉で言うと簡単な結論にな

っちゃうんだけど、やってみるとこれが難しくて、生涯、向上を目指して修

練し続ける職人のように、だれもがライフワークにできるのだ。


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