●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、自粛同調圧力に遭い(?)引き続き悩みます。



シリーズ WITHコロナの日々 (5)

「悲観派、楽観派」の続き


前回、私が横浜やみなとみらいをブラブラ街歩きしたことを太極拳の仲間に話し

たことを書いたが、これはその続きである。


太極拳が終わって、帰り道が同じ先輩と話しながら歩いたときのこと、

「あなた、横浜見物に行ったなんてみんなに言わない方がよかったのよ」とたし

なめられた。

先輩は昭和12年生まれ。戦争体験をおぼろげに記憶している世代だ。

戦時下では「自粛」という言葉のもとに日常が統制され、「贅沢は敵だ」という

スローガンが掲げられ、主婦たちはお互いにけん制し合い、生活を律して、さら

に監視し合っていた。

私には、白い割烹着をつけた主婦たちが日の丸を振って戦意高揚を煽る写真が目

に浮かぶ。

今、コロナ下のもと、自粛を求める雰囲気はその戦時中ととても似ているのだ、

と先輩はいう。

自粛警察があらわれ、コロナを楽観視する人々を非難し、差別する現象が起きて

いるのだから、気を付けなさい、いうのだ。

私はいかにも戦争体験を経てきた人らしい忠告だと思った。

なるほど、出かけてきたことを吹聴し、もし、感染していたら、周囲に心配をか

けることになるし、外出を我慢している人には、ホイホイ出かける人が許せない、

という警戒はありうる。

やはり、軽率だったのだろうか。

先輩は戦時中の体験から、国が一つの方針を打ち出したとき、それに従わない者

は非国民扱いとなることを想像したのだった。

私はそれを聞いて戦時下までも遡ることに驚いたのだが、状況がよく似ているこ

とは否めない。

先輩の言葉はコロナに対する考え方が悲観派、楽観派では括れない、重大な深層

心理が働くことに気づかせてくれた。

でも、私は戦争と疫病はまったく違うのに…いや、同じにしてはいけないと思う

のだが…

コロナは疫病、きちんと感染対策をすれば行動しても良いと考えるのだが、段々

自信がなくなってくるのだった。


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