8/17のしゅちょう 文は田島薫
(戦犯と悪人正機、について)
終戦記念日の戦没者追悼式で安倍首相は、わが国が戦時にアジア諸国に加害
をしたことについての謝罪や言及を省いた。
自民党安倍政権のその件に関する主張は、諸国に迷惑をかけたけど、それに
ついては戦後、十分謝罪はしたんだし、そういった自虐表現はそろそろ勘弁
してもらって、未来に向けた前向きな姿勢をアピールしたい、第一、戦時の
日本の行動はその時期の諸事情からの歴史の必然で、それが侵略だったかど
うかは断言できないのだ、とかなんだとか、ってもので謝罪の言葉を言った
としても、本心では謝罪する気持ちは元々ない、って言ってるのと同じわけ
なんだから、対象国の人々が怒るのも無理はないのだ。
さすがに他国からの批判もあり、靖国神社の参拝はひかえて、金銭だけ捧げ
たようなんだけど、自民党議員の何人かは参拝して、若い小泉議員などは、
わるびれもせずに、兵士を追悼するのは当たり前のこと、ってならないとい
けないのだ、って開き直る。
軍人たちを追悼すること自体はいいとしても、問題は戦犯も合祀されてると
ころにわざわざ、政権政党の議員がそれをする、ってことは、前述の安倍首
相と同じ趣旨のメッセージを世界に発信してることになるのだ。
日本人の考え方では、どんな悪人でも死ねば仏や神様になるのだ、ってよう
な大らかな風土があり、親鸞も、善人が往生するなら悪人は当然往生できる
のだ、って言ってるわけで、多分、自民党議員の心情もそれに似たところが
あるのかもしれないんだけど、政治家はそういった素朴な庶民感覚で、自分
たちに都合のいい解釈だけしてても、世界の人々には通じないだろう。
他国に土足で軍隊を送りこんでその国の人々を虐殺した事実をなかったこと
にすることはできないのだし、いつまで謝り続けなくちゃいけないのだ、っ
て思ったり言った瞬間に、それまで長年続けて来た歴代首相らの謝罪が無に
帰することを、安倍首相たちはやってしまってるのだ。
悪人が往生するには、その罪を自分でよく認識して悔いることがセットのは
ずなんで、永遠に謝り続けるぐらいの気持ちを感じた時に、被害者たちの方
から、もうそんなに謝らなくてもいいですよ、って言う時に初めて、それが
許されるんであって、加害者の方がもうこれぐらいで謝罪はいいんじゃねー
の、って言うんじゃ、全くだめなのだ。