6/15の日記          文は田島薫



世界じゅうの亡くなった人々


先週の月曜のココ通、昨年暮にだんなさんを亡くしてその残務整理や自身の心の整

理などでずっと休載してたもどきさんが約半年ぶりに執筆再開してくれた。

人が亡くなる、ってことは若い頃だと、自分とは無縁の特別なこと、って気分でい

たのが、この頃ではずいぶん身近なふつうのことに思えるようになってきた感があ

るのは、現実に友人知人が亡くなる事実に遭って、自分にだってそれは近い将来の

可能性だ、って感じるせいなんだろう。

去年、バンドゴッコメンバーでココ通メンバーでもあった年下の友人であるサニー

が亡くなったばかりなのに、今年の1月下旬にはいっしょに事務所やったこともある

学生時代からずっと親しくしてた友人のととなまが亡くなったし、一昨年の秋には

家人の兄の奥さんが亡くなったし、その前にはココ通メンバーで子どものころから

ずっと行動共にしてたいとこのユーシロせんせーも亡くなったし。

身近以外に目を向ければ、人気タレントや人気イラストレータ、人気俳優、歌手、

文化人でも大勢亡くなってるし、世界に目を向ければ、新コロナ感染だけでも40万

もの人が亡くなってるわけだし、貧困などの理由でそれ以外の病気で亡くなった人

や、先日の米国の黒人のように人種差別的暴力で亡くなったり、武力紛争などに巻

き込まれて亡くなる人も膨大にいて、それの1人1人に悲しむ身内がいるのだ。

で、そういった死が日常的なような環境で人助けするボランティアや医者たちもい

て、そういった人々には頭が下がる思いなんだけど、呑気に日常生活を送ってる私

のような者がいきなりそういった環境に身を置いた時には、無力感とストレスで早

死に(もはやそれはありえないんだけど)してしまうかも。

私は朝晩、ベランダに出て、山桃の木と空の向こうをながめながらスクワットをし

てるんだけど、元気だった友人が今はこの世界には物質としては存在してない、っ

てことや、コロナ前には何機も見えた旅客機が、ここんとこほとんど見えなかった

ことも、人生や世界の無常を思うのに十分だった。

家人や妹などが、テレビでずっとコロナ関係の報道見てると、気持ちがどんどん暗

くなってしまう、って言ってるんだけど、多分それは、そのひとつひとつの言葉や

情報を全部そのまま感情的に受け止めて、自分に手に負えない部分にまで自分の責

任のように錯覚してしまうせいなのだ。

横尾忠則さんは精神安定のエキスパートじゃないか、って私はフォローしてツイッ

ターを読ませてもらってるんだけど、彼が歴史漫画や哲学入門書のようなもんを読

んでる、って上げてた平凡社の「禅ってなんだろう?」って本を家人が持ってたん

で、きのうは半分ぐらいまで、なんてこともないそれを楽しく読んだ。


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