3/9のしゅちょう
            文は田島薫

(あきらめない力、について)


なにか事をなしとげるには、やり切ろうとする意志とたゆまぬ努力がいる、って

ことはだれにでもわかることだし、言うだけならはだれでも言えるんで私も言っ

てるわけなんだけど、やっぱり実行できる人はたいてい減ってきちゃうわけで、

だから、その意志と持続を習慣にできた人はもうそれだけで成功の半分をつかん

だのと同然なのかもしれない。

とは言うものの、だれもが憧れるような競争率の高い分野でがんばるなら、その

成功の確率もぐんと下がるはずだから、それと逆の分野が有利になるはずなんだ

けど、だれもやってない分野だからといって、達成した時にだれも喜ぶ者がいな

い、ってことも起るわけで、そういうので多いのは芸術表現の分野かもしれない。

で、とりあえず、そっちの方はほっておいて、喜ぶ人々がいるようなそれが見つ

かり、それについての知識や技術や興味が持てるものだったら、それをする当人

は幸せだろう。

先日ラジオを聞いてたら、全身麻痺で寝たきりの人のためのコミュニケーション

補助装置を開発する会社を起こした若者が出てて、それまでは、全身麻痺でも首

とか目とかわずかに動くの体の一部があれば、それでイエスかノーの合図でたと

えば五十音のどっかを順番にたどって言葉にする、といったやり方をしてること

が多いらしいんだけど、それにしたって、全身麻痺じゃ、もうコミュニケーショ

ンは一生無理、って決めつけられちゃったような患者当人にとって地獄のような

昔の状況に比べれば相当な進歩なんだけど、それからもっと患者当人に寄り添っ

たものを作れないかと考え続けたのだろう。

その装置は、簡単に言うと人々が普通に使ってる、「あいづち」のような言葉も

プリセットで合図のワンアクションで瞬時に表示できるようにした、って。

たとえば、ふむふむ、ってようなのを自由に使えるようになると、当人も相手も

すごく自然な雰囲気のコミュニケーションが実現したそうだ。

これはささいな話かもしれないんだけど、そうやって、見捨てられたように苦し

んでる人をたとえば1人救えるものを作ろうと意図してがんばって作り上げた人

は大儲けなんかはできないはずだけど、余裕あるたくさんの人々により便利なも

のを届けることよりも、だめ、って決めつけて切り捨てる大勢と同調するんでな

く孤独の中で、やれる、ってがんばったことに拍手をおくりたい。


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