映画だ〜い好き        文は福原まゆみ


尾形映画プロデューサーの友人が仕切る映画制作会社で働く映画好き女史が
エッセーを連載してくれてます。
映画女史、とりあえず眠らずには済んだようです。




ストローブ=ユイレの軌跡


アテネフランセ文化センターで行われていたストローブ=ユイレの特集上映に行ってきた。

ストローブ=ユイレというのは夫妻の名前で、ずっと二人で映画を作ってきたユニット名

みたいなもの。歴史、文学、哲学、政治などを題材に、難解な映画ばかりを作っている。

昔観た時には、何が何だかさっぱりわからず、いつも爆睡したのを思い出す。ひたすら街

中を移動撮影したり、一人の人物が朗読する(決して演じない)のを映し続けたり、セリフ

の中に出てくる単語が何の事やらわからなかったり…。お手上げなのだけど、映画を専攻

しているものとしては、これを子守唄とは言っていられない。避けて通れない作家たちだ

った。


この度は30年振りのリベンジだ。やっつけてやるぅと爆睡予防のカフェインをしっかり仕

込んで臨む。しかし事前の予習・復習はせず、30年の間に自分の映画を観る目、解釈や理

解度がどう変化したかを知りたいと思った。結果どうだったかと言うと、カフェインなど

無くても良かったかもしれない。パリの広場をぐるぐる回る映画は、何回回るのか数えた

くなる。数えているうちにいつ終わるのか、どんな風にこのメビウスの輪を断ち切るのか

が気になり始める。まるでブランクーシの無限柱の様に、これでもかこれでもかと続くオ

ブジェを辿るようだった。意味はわからなくても作品世界に引き込まれ、まんまと術中に

嵌ったなと、心地よい敗北感に襲われる。思えば背景は同じでも、1周ごとに毎回映る車

も人物も、雲だって違っている。それを私はどれだけ意識できていたか。どれだけ画面を

捉えていたか。正直、見てはいたが、観てはいなかった。観よ!と挑戦され、逃げていた

のだと思う。観ることの意識は取り戻したが、聴くこと、そこにあった歴史、今ある歴史

等々、個々に存在し、映画を構成する要素についての解釈はまだまだ追いつかない。これ

からの課題だけど、楽しみでもある。




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