12/14のしゅちょう 文は田島薫
(食料支援の足りなさ、について)
5年ぐらい前のデータで、世界の富の50%以上を全人口の1%の富裕層が持っ
てて世界の富の94.5%を全人口の20%が持ってるそうで、残り80%の人口で
世界の富の5%ちょっとを分け合っててその“平均”が年額約45万円、って
ことらしいんで、最低層には食うものを買う金も不足してるはずだ。
一方、経済的先進国では、食料や衣料品が毎日大量に廃棄されてる現状もあ
るのに、国連の食料支援機関のWFPは、世界で起きてる紛争難民や気候変動
などでの食料不足地域への支援資金が不足してると訴えており、一般庶民か
らの寄付を常時求めてるんだけど、そういったもんを、庶民の善意に頼らな
くてはならない現状は少しおかしいのではないのか。
世界経済は大きな規模で地球の隅々まで関係しているのであって、経済的富
裕層であるどの国の企業やら国家にも、そういった人間の命を救う最低限の
義務があるはずなのだ。
世界の大富豪たちの中には所得の何%、何10%を寄付してる者もいるようだ
けど、これは国家規模でやるべき義務なのでは。
わが国の政府は14年から年平均160億円ぐらい拠出してるらしいんだけど、
昨年は、それまでより少ない76億円を寄付したそうで、WFP日本事務局では
ホームページで配分先の30カ国ぐらいを並べて感謝の意を表してて、国の方
は、例えば2000万人が危機的状況のイエメンには20億円が支援したと言っ
て威張ってる風なんだけど、年間ひとり頭100円の食料支援、ってことだ。
これじゃ、金額の桁が全く足りてないだろうに、国の方はそんなしぶい支援
金拠出の一方米国から1機100億円を超える戦闘機を100機も買おうとしてた
りするのだ。
人ひとりの命は地球より重い、などと言ったりする者たちが、食料がなくて
命の危機だ、って人々を救うのに、形だけのけちくさい支援金拠出だけして
義務を果たした、って顔をして、後は貧民層の善意と美談にまかせる、って
ことでいいんだろうか。
もし、国家が、世界じゅうのそういった食料危機の人々を本気で救うことを
政策の基本にしていったら、それを見てる他国は敬意を感じたりそれに習っ
たりが日常化することを想像できるわけで、そうすると多分、世界じゅうで
もう国防やら武装やらの必要はなくなって行くはずなのだ。