11/9のしゅちょう
            文は田島薫

(幸せな時間、について2)


前回、やることが無意味に感じる仕事は結果的に幸せな時間を縮めること

になる、って当然のようなことを書いたんだけど、今回は、じゃ、その幸

せの時間、ってものは具体的にどういったものなのか、ってことを。

私の個人的な感想をまず言うとすると、他人になにかを強制されることの

ない自由な時間の中で、自分の心地よい夢想に浸れる時間、ってことにな

るんだけど、例えば、旅に出て、新鮮な風景や人々をながめて、なにか、

優しい気分になったり、旅に出なくても、どっかの片隅でビールでも飲み

ながら、世界や人々の暮しについて考えたり、好きなミュージシャンの曲

や歌を思い出したり、だれかとそんなことを話題に雑談したり、ってとこ

ろが、すっと思う基本のよう。

もちろん、好きな本や音楽や映画に集中して鑑賞してる時も幸せには違い

ないんだけど、最近は、ただ楽しいそれらに夢中になって時間を過ごすだ

けだとどこか時間がもったいない気がするのだ。

多分、楽しむための対象物はいくらでもあって、すべての時間をそれにあ

てても人生の時間は足りないはずで、やはり、なにか自分自身が納得する

ような認識を得ることをしたいのだ。

本や音楽でも、ただ楽しいだけじゃなくて、今まで自覚してなかったよう

ななにか人間関係やら世界の真実を示された時に、感動してしまう、って

ような経験はやはりそのもっとも幸せな時間、ってことになりそうで。

昔から私は、心理学や哲学に関する本や雑誌が好きで、そこでなにかわか

った時に、世界への視野が広がった気がしたものだ。

数少ない友人たちと酒を飲んでた時に、その1人が最近、図書館で哲学の

本を読むことが喜びだ、って言ってたんだけど、とても共感し、私もここ

んとこトイレタイムに少しづつルソーの「孤独な散歩者の夢想」を読んで

たんだけど、その平易な訳のおかげもあって、矛盾をかかえる心の正直な

独白に共感して充実した幸せの時間を過ごした。

私の好きなニール・ヤングの歌「ハート・オブ・ゴールド」は、黄金の心

を求めていろいろな場所へ行ったけど結局自分の中にそれがありそうで、

ずっとそれを探し続けてそして老いて行く、って。


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