11/16のしゅちょう
            文は田島薫

(幸せな時間、について3)


コロナ禍のために、外へ出て直接世間の人たちやら友人たちと会って交流

する機会が減り、人との会話も激減し、寂しい思いをしてる人も多いらし

いんだけど、元々人づき合いの少ない一人暮らしが長かった私は、あまり

そういう感覚は自分には薄いような気がする。

もっとも、今は一緒に暮す家人がいて、毎日、たあいない会話はしてるわ

けで、それで気持ちが満たされてるせいだろう、って言われれば、そうい

うことはあるんだろうけど、一人暮らししてたころの事を思い出すと、寂

し過ぎて辛い、ってように思った記憶がない。

それだからといって、自分以外の人間の存在が自分には不要、ってことで

はないわけで、ひとりでいる時も、友人たちや世間の人々の存在はいつも

意識はしてて、現実に彼らが目の前にいなくても、つきあった記憶は不滅

で、もしそばにいたら、あいつならこういう態度するだろう、こう言うだ

ろう、ってことを感じて共にいる感覚があるのだ。

だから、私には何人かの友人がいる、って思ってるんだけど、そういう友

人たちと、頻繁に連絡しあおう、って気も必要も感じてなくて、親友と感

じる何人かは10年以上連絡しあってないのもいる。

それは、たとえば、これまでに1人の友人もいなくて、親しくつきあった

人間も1人もいない、ってことだとそうはできないだろうから、それがあ

る、ってことが前提なんだけど、つきあった人が皆無、って人はそんなに

多くいるとは思えないけど、もしいたなら、これから、日常出会った人に

心を開くとか、そういう人をなんとか探すのがいいと思うけど。

スーパーのレジ係が、こんにちは、って言って、こっちも、こんにちは、

って応えただけでも、なんだか暖かい幸せな気分になれるもんだし。

で、親しい友人たちと例えば旅行すると、若い頃何度もそれをいっしょに

した友人もいたんだけど、楽しい気分と同時に、ひとり旅の時の自由さは

なくなることを感じたもんなのだ。

友人とはごくたまに会って、ちょっと1杯酒でも飲めば十分な感じで、ず

っといっしょに行動するより、ひとり旅しながら、そういった友人のこと

も思う、ってことの方がずっと心にしみるのだ。

あ、その時に、たしかに寂しさを感じるんだけど、その時のそれは心地よ

いそれ、って気がするし、いつか再会する期待も楽しい気分だし。


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