8/5のしゅちょう
            文は田島薫

(プリンシプルの誤用、について)


終戦時、日本に対してGHQやマッカサーの高飛車な要求に吉田茂の側近だった白洲

次郎は、米国に敗戦したけど奴隷になったわけではない、って言い、イギリス仕込

みの英語で主張すべきことは頑強に主張し、従順ならざる唯一の日本人、って評価

をもらったんだけど、その彼の主張のベースにプリンシプル(原則)を通す、って

いうのがあり、それによって日本はなんらかの敬意は得られたはずなのだ。

それから戦後70余年、わが安倍自民党政権は、世界から尊敬される美しい国、って

ようなスローガンで数々の政策を進めてるようなんだけど、そこに白洲次郎のプリ

ンシプルの精神は継承されてるだろうか。

戦争の悲惨を自国にも他国にも与えてしまった責任を総括し、もう戦争を放棄した

国になる、って宣言した日本国憲法がまずそのプリンシプルの基本になったはずな

んだけど、それを崩そうとしているのはだれなのか。

完全に敗北させられた強国米国に対し何も言えなくても仕方ないだろう、って状況

の中で自国の尊厳を主張したのが白洲次郎だったのにくらべ、安倍首相をリーダー

とする自民党政権は、戦争放棄の憲法を改変させて米国の従僕として戦争参加する

道を選択し、それに沿った法案を次々採択し、お愛想笑いをしながら米国の言われ

るまま米軍基地の費用の肩代わりを増やしたり、どんどん軍機の購入をしたり。

一方、侵略した中国や北朝鮮や隣国韓国に対し、その多大な加害を及ぼした張本人

である日本政権がどっか尊大な態度なのはなぜなんだろう。

韓国から従軍慰安婦や強制徴用工への損害賠償を請求された時に、それがすでに前

政権時に国家賠償としてすべて済んでいることだ、って主張自体はとりあえず理が

あるかもしれないにしても、問題はそれを伝える前の心と態度だ。

加害をした事実もきちんと認めないで、いつもそれには異論や別なデータもあるの

だ、などといった言い訳をつけ加えてから、賠償はしたんだし済んだことをしつこ

く責めるのはいい加減に終わりにしたほうがよい、われわれはいつまで謝らなきゃ

いけないんだ、などと逆切れする。

こんなのを聞いた韓国遺族たちはどう感じるだろうか。おいおい、日本人は全く反

省してもしてないし心から済まなかったとも思ってないみたいだぞ、って感じたら、

これをうやむやにしたまま何事もなかったように、はいそうですか、って済ます気

分になる者は多分韓国人に1人もいないだろう。

自民党政権にプリンシプル、と言ったものを無理矢理あてはめれば、政策の第一で

ある経済成長にも関連して、一度契約上で払って終わったものを再請求されるのは

経済制度の原則から外れる、ってとこかもしれないんだけど、この韓国からの賠償

請求を金銭的な勘定で考える前に、それがどういう心から来たもんか、ってことを

われわれ日本人はよくよく考えなくちゃいけないのだ。

韓国の要人のひとりが慰安婦問題に天皇がひとこと心からの謝罪をしてくれればす

べて解決だ、って言ったところ自民党政府は、なんと無礼なことを、って怒ったん

だけど、最初に韓国の人々に対してとんでもない無礼をしたのは日本だったのだ。


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