きょうのしゅちょう
            文は田島薫

(アンバランスな世界、について)


アンバランスな世界、って言ってみた時、じゃ、バランスのいい世界、ってどこの

ことだ?って言われると、これがその世界だ、って現実的には示せないだろうし、

世界はどこだって基本アンバランスなもんで、例えば今、私はわが国のことを特に

アンバランス、って言おうかと思ってるんだけど、世界の国々の中でわが国なんか

はバランスがいい方だ、って言えるのかもしれないわけで、それでも、世界の国々

の成り立ちには自然環境の豊かさやら先進国からの支援といった幸運にめぐまれた

かどうかもあったりで、当初からアンバランスなもんなんで、わが国はバランスが

いい、って自慢してるばっかりじゃなくて、恵まれてるならそれなりの支援を恵ま

れない国にして行くのが当然のことだし、バランスがいい、と言ってる内政の中に

もアンバランスなものを確認したら改善して行くべきなのだ。

で、こういうふうにバランス、って言葉で始めたんでそれがなんのことかさっぱり

わからない、って思う人もいるだろうし、それでも先を読んでみて、とりあえず、

バランスのいい国、って言ってイメージするのは、物資が豊かでそれが国民全体に

行き渡ってて、行動も発言も自由がある世界、ってもんだったとして、例えばアマ

ゾンの狩猟民族の生活がバランスが悪い、って言いきれるもんでもないのは、彼ら

の身分に大きな差別がなくて、食べ物や生活物資を分け合って毎日を協力しあって

過ごしてる一方、わが国では、子どもの頃からすでに貧富の差があって、個々の努

力だけではどうにもその差は縮められない、といった時、それでも無理な過剰労働

をして豊かな層の生活レベルに近づこうとしてるうちに個人の自由な時間はちっと

もなくなって、辛いだけの生活で一生を棒に振ったり、重い病気になったり、早死

にしたり、ってことで不幸を感じる層もあったりで。

人間の生存に必要なものは、基本的に、衣食住、って言われるんだけど、わが国で

は、すでにそれのどれもが国民全員が消費しきれないほど過剰にあって、衣料品や

食品の廃棄が行われ、住宅はどんどん空家が増えてる、って現状なのに、それらの

新しいものがどんどん生産され続けていて、そのため貧富の両方の層で自分の時間

もなく夜中まで働き続けてる者が多い、とか、公共機関があれば元々不要な自家用

自動車などもどんどん生産され、歩かなくなった人々は病気になり、病院やら製薬

会社やら保険会社やらが大盛況、って現実は、どうなんだろう。


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