7/29のしゅちょう
            文は田島薫

(不幸な子どもたち、について)


不幸な子どもたち、って言ってみると、世界中の貧しい家族の中でのそれや、親の

いないストリートチルドレンのことをすぐに思い描いてしまうんだけど、それにつ

いてはとりあえず、私の手に余るテーマなんで、今回はわが国の不幸な子どもたち、

について。

わが国も貧富の2極化が進み、満足な食事を与えられなかった子どものことがよく

ニュースになるんだけど、それも問題だとしても世界の極貧環境にいる子どもと比

べれば、どんなに貧乏な家庭でもそれができない、って言う場合は大抵、親の子ど

もへの無関心とか自分のことでいっぱいいっぱいで子どものことを考える余裕がな

い、ってようなことが多いように見える。

廃棄するほどの過剰な食品にあふれてるわが国で、栄養失調になるような子どもが

出てくるのは、上記の親たちのような雇用環境の過酷さやセーフティーネットなど

の社会環境整備の不十分さなどがあって、それへの対策に政治はどうも主に市民ボ

ランティアたちの努力に頼ってるんじゃないか、って印象なのだ。

わが国の自民党政治は、経済成長第一の価値観で子どもたちの教育もそれに向けた

知識詰め込みで子どもたちは朝から晩まで遊ぶ時間ももらえず塾通いやったりして

競争させる受験勉強一筋。

暴騰する授業料を払うために親たちも朝から晩まで働き詰めで、食事もゆっくりみ

んなでできるのはまれなことだったりで、コンビニの弁当なんかでバラバラに食事

を済ませるのなんかも一般的だったりして。

親も子どもも一日中忙しいもんで、ゆっくり団欒を楽しむなんてこともほとんどな

く、たまに親子で話す時間があれば、勉強をうんとやれ、とか、いい会社に入れ、

とかばっかり、親も子どもも生活を楽しむよりも、がんばらなくちゃいけない、っ

てなんだかわけのわからない使命感に縛られて、毎日がストレス。

子どもは、とにかく勉強をたくさんやっていい大学に入り、大企業や官庁に入れれ

ば幸せになれるのかもしれない、って日々遊ぶことは極力やめて知識をいっぱい頭

に詰め込むことだけに専念する。

やがて子どもも大人になりそこそこの企業や官庁に就職できて、さて楽しい時が始

まるのかと思うと、家のローンや車のローンや子どもの教育費をかせぐのに残業の

毎日。子ども時代の楽しかった思い出を聞かれ、ちっともなにも思い浮かばない。


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