映画だ〜い好き        文は福原まゆみ


尾形映画プロデューサーの友人が仕切る映画制作会社で働く映画好き女史が
エッセーを連載してくれてます。
映画女史と仲間は、関わった映画祭について考えたようです。




インターナショナルであること


1年かけて準備した短編国際映画祭が5月に終了して、既に一か月以上が過ぎた。中心

的にあらゆる作業をこなしてくれたスタッフと会い、次回の映画祭について少し話す。

来年にやるかどうかは未決だけど、もしやるとしたら”インターナショナル”である事

に力を入れたいねと言うことで一致した。今回の参加者に感想を聞いたところ、一番の

評価点がそれだったからだ。


国内に国際映画祭は数あれど、多くは邦画と日本人の観客ばかりが集まってくるものだ。

家の近所の国際パチンコや国際卓球場みたいなものかもしれない。我が映画祭はセレク

ションの半数が海外作品だったし、観客も半分とはいかないまでも、とにかく外国人が

多かった。なぜか。それは何と言ってもコアスタッフが、私以外はみんな外国人もしく

は海外生活の長い日本人だったからだ。必然的に外国人の間で宣伝効果が上がった。お

かげでロビーも賑やかと言うか華やかだった……自画自賛ですみません(笑)。


そんな多くの外国人を含む観客が選んだ観客賞は邦画だった。確かに納得いく作品だっ

たのだけど、驚いたのはそれが断トツだったことだ。他にも面白い邦画があったのに。

外国人の仲間と話してわかったのは、当たり前のことだけどやはり言葉と文化の壁が影

響したとのこと。外国人には、他の作品に出てくる「なんでやねん」が引き起こす突っ

込みの可笑しさが通じない。おにぎりやみそ汁がソウルフードであることがピンとこな

い。他の作品は、わかる人にしかわからない、解説を必要とする類の作品だったという

事だ。

ところが受賞作品は極めてストレートにわかり易く、テーマも絶望と再生という普遍的

なものだった。”おにぎり”に相当するソウルアイテムとしてVHSテープが出てくるの

だけど、こちらはインターナショナルに通用する。もっとも世代的に通用しなくなって

きてはいるが…。おもしろいなぁ。


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